スタイル

制作中

絵画の世界では「これが私のスタイルです」を確立するまでが苦労でいったんスタイル=画風を確立さえすれば「これが私だ!」で自分も世間もそれで認める認められることになるようだ作家は皆必死で自分のスタイルを探し求め模倣し作っては壊して独自のスタイルを作りあげその努力を世は賞賛するというストーリーになっているらしい

確かに一朝一夕でスタイルは確立しない画家のあらゆる試みあらゆる感性や長い間に培われた絵画思想といったものがそこには詰め込まれているだからスタイルを確立するということはその氷山の一角をついに水面上に出すということであってやはり賞賛に値するものだ

けれど一方で画家のスタイルは(比較していいのか迷うが)会社のロゴみたいなものだと考える人も少なくないロゴとはようするにブランドでありシンボルである大事なのはそれを生み出した人とその製品の内容であってロゴそのものに意味があるわけではない

ロゴやブランドが尊重されるのはビジネスの上でその品質が保証されてきたという実績があるからだブランドを汚すという言葉はその実績=品質保証を疑わせる製品を世に出すという意味だ。Med andre ord、ブランドと中身は常に一致していなければならないということそれは同じレベルのものを作り続けるというだけでなく一方で常に進化・深化し続けることでもある社会環境の方が変化するからである

だから「これが私のスタイルです」と画家がいう時(そんなことを言うはずもないが)それは外側から見た「画風」の意味だけであるはずはない「私のスタイル」とは常に変化しかつ動じずということだろうそしてそれはたぶん一般の人が「スタイル」という言葉に持つイメージとは随分違った中身になるに違いない

迷路遊びなら地下鉄で

「モデル 」 水彩 F10

今朝はぐっと冷えたらしいぬくぬくと布団の中にいてラジオで天気予報を聴いていただけで寒さを知らず

昨日は数人の個展を中心に都内を廻ってきた銀座のように画廊が固まっているところではなく開催場所がバラバラだったので件数の割にはだいぶ時間がかかった特に乗り換え駅の構造の分かりにくさに閉口した

一説には核戦争時のシェルターになるようホームを深く作るようになったとも言われているが確かに深いそのうえ都内地下鉄では駅どうしをくっつけて繋ぐ傾向がある案内板も少ない仕事柄その類の図には慣れているはずだがそれをじっと見ても頭の中でコースを描きにくいなまじ図を見たためにかえって迷子になる人もいるに違いないプロジェクト・マッピングの技術などこういうところに使えるようになって欲しいものだ

2つ3つの駅構内を乗り換え線ホームを探して歩くだけで汗だく疲れとタイムロスとで結局最後まで廻りきれずに帰宅することになった

久々の自転車だったが

夕方近所の川土手沿いに散歩した(自転車で長距離の歩行はその日その日の調子による)夕方5時半頃には既に暮れかかり満足に餌を採れた大きな鴨たちは既に首を羽根の中に入れ眠りに入ろうとしていた

川幅せいぜい5メートルその真ん中あたりで夜を過ごすのなら大きめの犬なら一跳びすれば十分届く距離鴨から見れば気が気じゃないという位置だと思うのだが自分の危険センサーに自信があるのか案外慣れているようだ細切れでも一瞬に深く眠るそういう能力があるのだろう夜が明けたら寝ぼけていては危険一刻も早く眠りにつく意味は理解可能だ

釣瓶落としの夕日の中すぐにお腹が冷えて調子悪くなった