инсект

パイナップルを描くとkさんの見事なパイナップルのスケッチを思いだす

夕方になると虫の声が日増しに大きくなってくるのを感じる台風もすでに9号まで日本に通過接近してきた俳句では虫も台風も秋の季語一日中クーラーを効かせた家の中にいると蝉の声も聞こえなくなるし聞こえなくなれば関心も失せていく人間が次第に自然の感覚を失っていくのを文明の進歩と呼ぶならば確かに進歩中なのだろう

虫を毛嫌いする人は少なくない皮膚をかぶれさせる毒のある虫もいるし蚊のように血を吸ったりする虫もいるからだが多くの虫は人間にとっては害のない虫だというそれどころか地球の生命史を見ても虫(虫イコール昆虫ではない)を食用することでより大型の生き物を育んできたことが明らかにされている虫の存在を無視しては現在の人類の今はないといっても過言ではないのである虫が毛嫌いされるのは(実はわたしも苦手であるが) 単純に触れる(触れ合う)機会が少ないからだろう

子どもにとって、инсект、特に昆虫はスーパースターである最近は滅多に見ることは無いが日本でも戦後しばらくまでは蚤(のみ)がどの家にもいた蚤の跳躍力は富士山頂上まで十数回のジャンプで届いてしまう凄さ蝶の羽ばたきは一見ひ弱そうに見えるが一万メートルの雲の上を海を渡る強さも持っているカブトムシを人間サイズにすれば象のパワーなど物の数ではないホバリングも水平飛行の早さも自由自在のトンボも子どものあこがれのパワーを持っているしかも軽量で無駄がなくカッコいいそれらがどれだけ科学や技術の発展に貢献してきたか(いまや日本文化のシンボルともなった「アニメ」においても)ノーベル賞を100個あげたくらいではとうてい追いつかない

本当に賢い人々はそうした虫(植物も)の能力をリスペクトしそれがどうやって発揮されるのか偏見のない眼で観察実験応用してきた言い換えればそれはそのまま子どもの視点の延長だいまふうの言葉で言えば子どもはあらゆるイノベーションのスタートアップに違いない
 少子化対策などと称し単に人口増など経済的数字としか捉えられない視点ではいずれ虫の餌になるしかないのも止むを得まい

Необичната топлина продолжува

「盛夏浄土」習作(前回とは別作品です)

異常な暑さが続いている「異常」というのは例えば北海道北見市で昨日(7月24日)最高気温39.0℃(北見市での過去最高)を記録したことなどを指す「異常」かどうかはほんらいは「個人的な感覚」の問題で例えばインド・デカン高原で40℃を越えたからといって誰も「異常」などとは思わないが(涼しいはずの)北海道の北見だからそういう言いかたをしてもまあ不適切でもないだろう

夏の暑さでよく話題に上る埼玉県熊谷市(日本最高気温41.1℃.2018同静岡県浜松市2020)とか群馬県桐生市岐阜県多治見市などでは「普段より暑いなあ」くらいにしか思わないかも知れないちなみに北見市の過去の最高気温を見てみると38.1℃(2019)、37.2℃(2021)となっていて第4位以下は37,1℃が2022、2023と続き、10位が37.0℃つまり例年なら37℃あたりまでがピークだからそれよりいきなり2℃も高かったことになるそれにしても北海道もついに南国化してしまったことの象徴なのだろうか

ある錯覚

「盛夏浄土」  水彩F6

教室でのデモンストレーション制作をしてみた写真にしてみると「垂直」がかなり傾いていることに気づくあらためて作品を見るとこの写真ほどには感じないが垂直線が右に傾いているのは確かだった

後期印象派の画家セザンヌの垂直線も10度くらい傾いているそれを指摘している美術書をわたしは見たことがないがあれは感覚的な“クセ”だろうと思っているセザンヌの “10度” は垂直線に対してどれも同じ角度で傾いているからわたしは癖だろうと判断したのだがわたしの場合よく見るといくらか放射状に開いているように見えるつまりこれは癖ではなくなにかの原因による「錯覚」だと思う

水平垂直にかけては絶対の自信を持っていたはずの自分の感覚にゆらぎを感じざるを得ない理由はなんだろう視力が悪くなってきたためか感覚が鈍くなってきたせいか視野が狭くなって比較がおろそかになってきたからだろうか等々

おそらく一つの原因というのではなく複合的に重なり合って「錯覚」が起きているのだろうまあいいこういうことが自分にも起こるようになってきたということを自覚しておこう