12

「Apple(未完)」F10 テンペラ 2020・1・1開始

今年は暮れからずいぶんお酒を飲んだ最近はだいぶ控えめにしていたし毎日飲みたいとも思わなかったが体調も良くなってきたのか暮れの1週間ほどは毎日昼間から飲んだ。1日でワイン一本(720cc)を空にすることもあった暮れの3日間は缶ビール(350cc)を1日で4〜5本年が明けたらなんだかビールが飽きてきた

11月中頃から今日まで睡眠薬を飲まずに過ごせているそうそう薬と酒とどちらがより体に悪いかなど考えていたのだったそんなこと考えること自体頭がおかしくなっている証拠。но、なんとなくだが薬を飲まない方が日中のぼんやり感はなくなっているような気がする薬を飲まずに済むならもう少し続けてみよう

教室がないので毎日5〜8時間ほど描いているほとんど小品での試作技法のこと素材のことや手順など、1点1点あれこれ課題を考えながら描く。и、それがこれまでの制作とこれからの制作の間にどう関わるかを考える

それ以外の時間も案外忙しいでも仕事ではないから趣味のようなもの(ほんとは仕事しなくちゃいけない)趣味といえば今は俳句下手の横好きと言えるほど好きでもないから締め切りの前日に作る「ねつ造俳句」あるいは「へそ曲り俳句」今年は目標を3つ掲げた(心の中だけ)がまだ2日だというのにもう達成できない予感が

正月や諭吉は貧血一葉も    生活感滲み出ていますね

Apple-no.8

「Apple-no.8」 F6 oil on canvas 2019

今年のスポーツの話題といえば半分以上は「ラグビー」に手が挙がるだろう珍しく私も試合結果をパソコンで検索するほど引き込まれたラグビー人気はW杯が終わった今も続いているらしくそれが日本のスポーツのじわっと前近代的な風土を吹き払ってくれたらいいと思う

時事的な話題に迎合したと思われるかも知れないがその話題を自分の絵に「織り込んで」みたラグビーで「no.8」と言えば独特の個性的ポジションでありフィールドに立つ15人のポジション(役割)のうち番号そのものがポジション名になっているのはこのno.8(エイト)だけ「8」はその意味で描き入れた

にわか勉強だがラグビー は15人のうち8人がフォワード(スクラムを組む)残り7人がバックス(攻撃中心)になる。4、3、1人と3段に組むスクラムの最後尾にいてフォワード全体をコントロールする役目人間で言えば中枢神経がno.8スクラム・ハーフ(no.9=SH)スタンド・オフ(no.10=SO)の3人で攻撃陣の「脳」がSOならばその下部神経を束ねながら同時に試合で起こりうるあらゆることを想定し体を張って単独にでもそれを切り開く能力を要求される難しいポジションそれがno.8だ(とどの本にも書いてある)今回のW杯日本代表で言えば姫野・アマナキがそのポジション

но,、それを知ったからno.8にしたわけではないしその役割の何かを象徴させようと思ったわけでもない番号そのものがポジションになっていることが唯一の理由余談だが私の高校もラグビー が盛んで(決して強くはなかったが)クラス対抗のラグビー 大会があり私もラグビー 部の簡単な指導を受けてそれに出場したことがあるそれ以上の経験はないが結構面白く感じそれ以来(薄いままだが)興味を持ち続けてきたあの時自分のポジションはどこだったか思い出せないがとにかくスクラムにはいた一番脚が早かったがなぜかウイング(WTB)にはならなかった

Apple 3

「Apple」 F4 tempera-oil 2019 (unfinished)

人が見たら取り憑かれたように「Apple」を描き続けているように見えるかもしれない確かにここ3ヶ月ほど集中的に描き続けてはいるが取り憑かれているわけではないこの集中は制作上のいろんなケースを想定しながらのいわばケース・スタディというか思考の洗練度アップのための期間だと考えれば解りやすい

若い頃はこんな描き方はしなかった思いつくまま描けばそれがベストだった次々と溢れてくるアイデアに制作が追いつかなかった今もアイデアは浮かんでくるがなんだか昔の焼きなましのような感じもする一巡も二巡もしてしまったのかも知れないならば逆にじっくり一つのアイデアを深くしてみよう深くできないときは(職人的だが)完成度を高めるとかそんなふうに考えている

最近絵というものは一枚で完成するものではなく結局一生描き続けた全ての絵のトータルとして一枚(?)が終わる(決して完成とかその人の世界などと簡単にいうことはできないが)ようにも思えてきた大きな木の葉っぱ一枚一枚が絵だとすると枝だけでなく幹も根っこも必要しかも一定の時期には葉を散らし新しい葉を作りながら少しずつ成長するそうして太い枝と無数の葉を持つ大きな木になりやがて枯れていくその全体もまた一枚の絵(映画の方が近いか)そんな感じ

この絵はテンペラで描き始めた小さいしテンペラのまますんなり終わってみようと思っていたが中心部の茶色(ここはその上に何度も白を重ねていくつもりだった)が妙に美しく感じたのでそのまま残すことにしたそこから方針が変わり逆に周囲をアキーラで厚めに白くした背景の黄色はテンペラの茶→テンペラの黄→油彩の黄→テンペラの黄と繰り返している途中に油彩を挟んだところが経験によるもの白は油彩でほんのり赤みを帯びた感じにしようか考えているが元々のアイデアはそのようなニュアンスを拒否しあくまでフラットに描くつもりだったなぜ考えを変えたのかその理由もそのこと自体の是非を考えることも絵の大切な要素だと思う