ハッチング

       「羽化」のための試作 2025 ミクストメディア
あまり目立たないようにハッチングしています

先日アップした「『羽化』のためのエスキース」を実際の絵の具を使って試作してみました先日の「竜宮へ行く」を喜んでくれた方がいるので調子に乗ってエンコスティックを使っています同じミクストメディアという表示でも今回はテンペラとエンコスティックのみアクリルは使いませんでした

今回は「ハッチング」というテクニックを使ってみました(何となく網目状に線がクロスしている部分)ハッチングという名称自体はよく知られていると思いますこれは油絵のような自在なグラデーションができない時代の「やむを得ない」テクニックです現代ではデリケートなグラデーションなど小学生でもできますが油絵発祥の地ヨーロッパでさえ、14世紀までは滑らかなグラデーションはできませんでした「秘術」のレベルだったんですその「秘術」を「技術」で乗り越えようと発想したのが「ハッチング」です

「技術史」的には大きな意味がありますがアートに近い分野でだけに「密度」を視覚化する特殊効果としてぎりぎり生き残っています一本一本の線は薄く描かれるので線がはっきり見えてくるまでには同じところを何度か重ねる必要があります線そのものの技術も必要ですがなにより手間かかるんですねー

「ハッチング」はレオナルド・ダ・ヴィンチが生まれる直前ファン・アイクが油絵技法を完成するまでの画家たちの「公式」テクニックでした現代では誰もが特に勉強しなくても素材の方が勝手にやってくれますだから?逆に効果もあるんですよね

竜宮へ行く

        「竜宮へ行く」  ミクストメディア

半年かもしかしたらそれ以上手をつけあぐねていた4号の小品をやっとフィニッシュしたAppleシリーズの1点になる予定だったがつまらなくなって途中で放り投げていた

「エンコスティックのやり方を忘れた!」とドキッとしたのがきっかけしばらく使ってなかった瓶がひょいと目の前に転がり出てきた
―エンコスティックとは蜜蝋(蜂の巣に含まれる蝋成分を抽出したもの)のこと人類最古のワックスである蜂の巣を粉砕過熱して蝋分を溶かし不純物ゴミなどを濾して抽出したものが現代では画材店できれいな包装で手に入る古代エジプトのミイラの棺などに肖像が描かれていたりするがあれが蜜蝋画である数千年経っても変色ひび割れ一つない(土台の木材の方が劣化する)いわば完璧な絵の具なのだがなにせ極端に描きにくい油絵具などの自在さに比べることさえできないしかも蝋であるから柔らかく傷つきやすいなどの欠点もある―
 どうせ放ったらかしの未完成作だから失敗がてらそれを使ってみようと思った

色が深いですよねー(自分で言ってちゃ世話ないが)!まだ生乾きだが数カ月経って布などで磨いたらもっと深みが出るはず

「竜宮へ行く」なんて物語的な題名をつけてみたけど見ようによっては単なる海難事故で海に放り出された漂流者か宇宙空間でのそれのようでもあろう。por certo、あのエンデュアランス号が、2022Ano、107年ぶりに水深3000mの海底でとうとう発見されたしかも極上の保存状態という凄い写真を昨年ナショジオの特集で見たっけなあ(1915年南極大陸横断を試みた英国の遠征隊で舟は氷に挟まれて沈没した乗組員は22か月後全員無事に生還した多くの映画にもなった有名な事件)話を戻そう―
 浦島太郎になる前にあの世へ行きそうだがせっかく思い出したから今年はできるだけ使ってみようと(この瞬間は)思っている明日のことは知らんけど

「羽化」のためのエスキース

         「羽化」のためのエスキース  色紙に色鉛筆

今日は2025年の立春です壁に「飛ぶ男」のシリーズの小品一枚が懸けてある様々な想いと新しい(当時の自分にとっては)表現法にチャレンジしたF4サイズのテンペラ画だ技術的には大したことはないが若さの故か発想から表現までのテンポがよくときどき現在の制作のスピードと比べてしまうときがある

おっと脱線だその男が空に浮かんだ絵と「立春」という語感現在継続中の「Appleシリーズ」?の3つが頭の中でスパークしてこの発想が浮かんだ近年の「Apple 」もスタートの時と考え方が少しずつ変化してきて新作への新しい気分を求めているところだった

絵というのはそれが具体的なモチーフであろうと抽象的なものであろうと自分の頭の中にある程度ゴールのイメージが見えていなくては描けないものだその意識のシステムは人類の進化の歴史とどこかでDNA的に繋がっていると感じる学生のころアルタミラの洞窟壁画の精細な調査写真や記事を見た時の衝撃と、3歳の子には3歳なりの生活経験がありそれを基にイメージが湧いているんだなあというお絵かきの絵とが結びつくあとは偶然の動きが呼び覚ます身体感覚AIの示す「絵」とは根本的に別な世界であるおっとまた脱線

発想が自分の中のものとの結びつきが強いほど頑固に執着してイメージが膨らまないと思いやすいが実際はむしろ膨らんでいくよく知っているものは深く豊かな内容を持っていて多角的な視点から眺めることが可能だからだむしろ外からの経験や知識だけの方が視点が一つに絞られやすい。Tamén、どんなに膨らんでも自分の世界観を超えることはたぶんできないが無意識の内に内在していたものが新しいイメージとして見えてくるということはあるだろう自分自身で固定させてしまっていたボーダーラインを外側へ緩めていくあるいは掘り下げていく創作とはそういうものだという気がする
 さてわかった風なことを書いてしまったのでこのあとが怖いがこの発想も今はまだ「ありきたり」の端っこに漂っているだけだこの先の航路はまだ不明だが立春の日にとりあえず描き留めておく