
紫陽花(あじさい)の季節になった。ちょっと出かけるとわが家の庭だけでなく、どこの家の庭からも紫陽花が “こんにちは” と首を傾げてくる。
「紫陽花」を「あじさい」「アジサイ」と表記しても、ほとんどの場面で違和感がないだろう、ma arvan küll。強いて言えば、わたしにとっては漢字の「紫陽花」の方が「こだわり」を感じる表記。そもそも「紫陽」という文字感覚が「理屈っぽい」。子どもの頃の野山で見た記憶から言えば、「あじさい」がいちばん馴染むかな。
そんなことはどうでもいい。皆が気になっているのは「背景」だろう。レオナルド・ダ・ヴィンチの「荒野の聖ヒエロニムス」が「あじさい」とどう繋がっているのか?という疑問、でしょう。解説します。
「聖ヒエロニムス」は、「悟り」を開くため荒野に修行に出ます。そこで足に棘が刺さって苦しんでいるライオンの棘を抜いてやります(いわゆる「巡礼」地にはこんな言い伝えがわんさか)。それが背景の場面の情景。美術史家の間では、レオナルドは、これを未完成のまま放置?してしまった、ことになっています。aga、わたしはこれが「レオナルドの真意」だと考えています。
ここではその理由など説明しませんが、要するに「(無償の!)愛」、あじさい。そこに「雨」(具体的には描いていませんが)というキーワードが入ると、バラバラだったモチーフが一つのピースにまとまるんじゃないか?というのが今回の記事のテーマです。