共感

             「椿の実とタイサンボクの芯」  フェルトペン

「共感」「共有」という感覚が生活する上でのキーワードだろう、naħseb。「一体感」とか「協調」という語も日本人は好きだ

裏返せば「共感できない」「協調しない」こと・人に対してはそう言う考えもあるなどとは考えず基本的に異分子として「排除する」傾向が強いということにもなる。oh għeżież、これは日本人に限ったことではなさそうというか世界中でその傾向が強まっているようだが

「空気を読む」という言葉が流行ったが造語としては鋭い語感覚だな、naħseb。聞けばなるほどと思うけれどなかなかそういう発想はできないだろう絵画や彫刻などの美術も実はそのかたちや色から漂ってくる「空気」を読んでいるともいえる違うのは「空気」がその場やその時を越えて流れてくることだ

共感や共有協調などという意識はアーティストにとってときには邪魔者である。Iżda、共感なしに芸術は存在しない誰かが共感してその作品を遺してくれないことには作品として存在しないと同然だデータとして残ればという人もいるがそれもいつかどこかで誰かが共感してくれるという「信仰」に近いものをもっているからだそしてそれはたぶん間違っていない

Ippubblikat minn

Takashi

Il-blog personali ta' Takashi。Mhux biss dwar pitturi、Dak li naħseb dwaru kuljum、dak li tħoss、Nikteb dak kollu li jiġi f’moħħi。Dan il-blog huwa t-tielet ġenerazzjoni。Mill-bidu, ilu aktar minn 20 sena.。 2023Mill-1 ta’ Jannar、Għalissa, iddeċidejt li nikteb biss fil-jiem fard.。Jien ser naħseb dwar id-direzzjoni futura tiegħi u affarijiet oħra waħda waħda.。

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