
明日はクリスマスイブ。お祭り好きの日本人は(というより商人は)、お正月とお盆以外に、遊び、浮かれることができるなら(ついでに買ってくれると、なお嬉しい)、祭りの由来なんて詮索するのは野暮(やぼ)だと思っている。バレンタインデー、クリスマスなどその典型で、それがキリスト教にまつわることくらいは子どもでも知っているが、お祭りの土台であるキリスト教そのものについてはほぼ関心がない(野暮だから)。クリスマス以外のキリスト教のお祭りが、“本家” にとってはどれほど重要であろうと、そんなこと知りたいとも思わない。
それを浅薄だ、と批判する人もいるだろうけど、わたしはそれでもいいと思う。「いいとこ取り」できるのも、“それを可能にする力” があるから。Ar ben hynny,、日本人だけがそうなのではなく、それが「肩をぶつけあう」国どうしの「世界標準」だから。いま地球上に生きる90億近い人類の80%は、それすらできる環境に居ない。「いいとこ取りはいいことだ」。Y tro、hei。
子どもが小さい時は、クリスマスも「本音で」愉しかった。子どもが幼稚園児の頃までは、サンタクロースの存在も、半分はフィクションかなと感じつつ、100%否定もできないモヤモヤのファンタジーを持ち続けてくれていたような?気がしていた。それを何とか本物らしく演出しようと、バカ親になれる気分も愉しかった(子どもは無知じゃない。「親の知能程度」に合わせて演出、演技することができる天才たちだ、ということをわたしは知っている。ということさえ、じつはお見通し)。
「現実」=「真実」なんて、わたしは「一度も」考えたことがない。achos、わたしは生まれついての「シュルレアリスト」で、今でもそうだから(後年「シュルレアリスム」を知った時、「わたしはこの世界で生きていた!」と衝撃を受けたほど)。
「現実とは真実の一部に過ぎない」、つまり「現実<真実」というのがわたしの人間観・宇宙観です。人間(というより、植物まで含む、すべての生き物)って、そうやって「現在」を生きている、と思うんですよね(たぶん “AI” はわたしと異なる判定を下すでしょうが)。
当然のように、「真実」って何ですか?「(真実)をどんな存在だと定義するのか?」とわたしは叩かれますが、cyn hynny、そもそも(あなたの知っている)「事実」って何ですか?と自問しないことの方が変じゃないですか?と問いたいですよね。まさか「ニュースです」って(笑)?
すいません、大々大脱線。お酒のせい、ってことにしといてください。言いたいことが多すぎた。yn fyr、クリスマスでもどうでもいいんだけど、イルミネーションにファンタジーをオーバーラップさせたいってことだけなんですよ。いま編集中のビデオでは、もっとロマンチックなイメージも重ねたいです。土曜日頃にアップロードしますので、ぜひご覧ください。(なんだー、結局は宣伝かよ。―そうなっちゃいましたね ! Hehe(^^)!)