Sazae

土曜日は埼玉県展の授賞式があったわたしも会場の「枯れ木」となるべく出かけた終わった後会場近くで開かれていた展覧会を一つ見てそのまま大勢で居酒屋へ。Dis hoekom、15日のブログはアップしなかった

昨日は朝から腰が痛く日曜日だからゴロゴロしていても良かったのだが晴れた日に家にいると雑用というものが雨の替わりに降ってくると相場が決っている

一仕事のあとはさらに腰が痛むので夕方から芋虫のようにモニョモニョしながら来月用の俳句を捏造したりウトウトしたりと隠居ジジイの日曜日らしく過ごしていたら「さざえを買ってきたから作っておいて」と置きっぱなしで妻はスタスタ夕方の散歩へ活サザエとは書いてあったが「極小?」サイズ小さ過ぎる貝に小指が痛いやっとこさこじ入れて刺身を作ったらなにか飲まなくては…と(鬼の居ぬ間に命の洗濯とばかりに)腰の痛みも忘れてビュビューンと自転車で美味しい水を買いに行った

サザエに限らず何種類かの貝にはそれぞれ開け方のコツがある貝というのは肉が貝殻にぴったりくっついているのではなく基本的に貝殻の中で「浮かんでいる」どこか一点で貝殻と命綱のように繋がっているだけだからそこを切れば肉は内臓ごとするするっと外に飛び出してくるそれを知らないときれいな刺身はともかくレバーを食べたい人は諦めるしかない久しぶりだからその場所を忘れかけていた
 見た目通りもう23年海で育てたい味だった                       

左手(腕)の仕事

数か月前から時どき左手というより左腕特にひじの少し上が痛むことがあった発端は庭木の枝切とか庭の中での移動のような作業だったと思うがいったん収まってからまた傷むようになってきたから根本原因はそれではなく単純に筋肉が弱ってきたからかも知れないものを持ち上げないときは忘れているから

左手(左腕)も案外使っているものだとこういう時だけ実感する小さい頃はたぶん左右どちらも同じように使えていたと思うのは何度も「お箸は右手」と叱られた記憶があるから現代の家庭ではどちらでも構わないようでわたしの場合もそのままどっちも使えるようにしてくれていたら今ごろ便利だったろうと思う

パリ・オリンピックパラリンピックが近いたくさんの種目の中に腕や手のない選手が陸上競技それも100mとか200mとかのトラック種目がある。Glimpie、「脚」で走るのだからたとえばどちらかの手首から下が無くたって走るのにそう影響は無いだろうと思う人もいそうである
maar、どちらか片方の手ポケットに入れて走ってみるととても全速力でなど走れない人間だけでなく多くの動物も案外ギリギリのバランスで動き生きてるんだと思う

両手を使えることは素晴らしいこと右利きのばあいつい左手は「副」とか「添え」扱いのような意識になりがちだが左手を右手のように自在に使える人を見ると全然別レベルの「超能力」的なことができることに驚くいろんな技能脳力の(自己)開発が言われるが単純に左手開発だけでも十二分に凄いことになると思う

「時間の無駄」って?

「時は金(かね)なり」嫌な言葉だ「光陰矢の如し」Time flies. どれも嫌な言葉だ「今日のことは明日に延ばすな」どうしてこうも息苦しく脅迫的な言葉ばかり世の中に溢れているんだろうか

バットI knouw-わたしは知っている。Onaangenaam、皆が知っているそれはみんなが(わたしと同じように「時間を有効に使うのが苦手」だと`自覚しているから)聞きたくない言葉でありつつけれどもそれじゃダメなんだという「ダメ人間コンプレックス」を持っているからですよね?

時間の無駄をするような奴はろくなものになれないでも―ロクなものになりたくないなら話は別かもそもそもロクなやつってどんな奴なんだろう時間の無駄をする奴は金を稼げないあるいは金持ちになれない。maar、逆に考えれば時間と体力をお金と交換しているようじゃ今の時代むしろダメなんじゃない?むしろお金があれば時間を買いたい人の方が普通なんじゃない貯めてどうする?みたいな
 「早起きは三文の徳(得?)」たった三文(って何円?)くらいじゃその分寝てる方が健康的だし大リーグの大谷選手だって「余分に1時間あったら寝る」方が良いパフォーマンスできるって言ってるよ

Maar tog、まだ一般的な社会通念としては時間をなにか「生産的なもの」と結びつける近代的というか産業革命以後的というかそういう思考法から抜け出ているとは思えないよね太公望じゃないけどボーっとした時間を過ごすことが人生の理想だという思想もあったはずなんだけどいまはそういう選択肢がひと昔より減ってしまったのかな選択肢が増えること=文化の発展なんて言い方もあったけど待っても² 実現しないから干からびてしまったのかもね「そんな誰も読まないブログを書くなんて時間の無駄よ」と後ろの方で(昔は絵を描く仲間だったのに)妻がイラついているしね
 それはちょっとつらいだろうけど、maar、絵を描くって時間を二重三重に(ホントは四重五重)無駄遣いすることだ(説明もなくいきなりだけど)と思うんだ何度も同じ時間を繰り返し(現実の時間は容赦なく過ぎているのだが)そうしているうちに何かぼんやり浮かび上がってくるそれを描くのが芸術家の仕事だと思っていたけどもう世界観が違うんだよねグダグダ言わずサッサと消えなければ自分を守ることさえできないそれが現代さ……常盤(ときわ)金成