数か月前から時どき、左手というより左腕、特にひじの少し上が痛むことがあった。発端は庭木の枝切とか、庭の中での移動のような作業だったと思うが、いったん収まってからまた傷むようになってきたから、根本原因はそれではなく、単純に筋肉が弱ってきたからかも知れない、ものを持ち上げないときは忘れているから。
左手(左腕)も案外使っているものだと、こういう時だけ実感する。小さい頃はたぶん左右どちらも同じように使えていたと思うのは、何度も「お箸は右手」と叱られた記憶があるから。現代の家庭ではどちらでも構わないようで、わたしの場合もそのままどっちも使えるようにしてくれていたら、今ごろ便利だったろうと思う。
パリ・オリンピック、パラリンピックが近い。たくさんの種目の中に、腕や手のない選手が陸上競技、それも100mとか200mとかのトラック種目がある。Glimpie、「脚」で走るのだから、たとえばどちらかの手首から下が無くたって、走るのにそう影響は無いだろうと思う人もいそうである。
maar、どちらか片方の手ポケットに入れて走ってみると、とても全速力でなど走れない。人間だけでなく、多くの動物も案外ギリギリのバランスで動き、生きてるんだと思う。
両手を使えることは素晴らしいこと。右利きのばあい、つい左手は「副」とか「添え」扱いのような意識になりがちだが、左手を右手のように自在に使える人を見ると、全然別レベルの「超能力」的なことができることに驚く。いろんな技能、脳力の(自己)開発が言われるが、単純に左手開発だけでも、十二分に凄いことになると思う。