画家という「ひとびと」

今日17:30Ao redor do tempo、Cargado。見てね~
「Green-apple」 テンペラ F4

忙しい。Dito isto,、仕事をしているわけではない「遊びに忙しい」?ってほど優雅なはずなどないがゼニにならない時間を遣ってるということは(世間的には)「遊んでる」っていうんだろうね自分的には納得しないがそう見る人はたくさんいるんだろうなってのは感じている

「Green-apple」スキャン画像がこれだけど、600 (pix/inch) でスキャンしたのにこのピントの甘さはなに?まるで眠ってるようじゃないか!なんてイラついてしまったが冷静に考えるといろいろ原因があるようです(絵の方はもちろんずっとシャープですよ!)

o outro día、わたしより10歳以上若いある人気画家と話をした「(美術)大学で理論とか技術とかいろいろ勉強したけど、ao final、子どもの時にやってたことを大人になってもやってるだけってことなんですよね」「子どものときには解らなかった絵を描くことの意味とか知らなかった技法技術当時は使えなかった素材などを使ってあの頃の延長をやってるだけなんですよね」。si、si。そうなんだよね

(世間的には)馬鹿というんだろうか?“純真”って言うんだろうか?どちらにしても本人的には「どっちでもいいしどっちでもなくてもいい」やりたいことができさえすればいいしできているなら続ければいい続ける気がなくなるか続けられなくなったらそれで終わりそれ以上あれこれ先回りして考ると結局やれないことになってしまうそれが世の中というものかもやれることをやれるときにやる以外になかった人々なんだろうね

アヤメとアイリス

「ジャーマンアイリス」 水彩
コアヤメ
模様の拡大

アヤメとアイリスの時季になったそれにアジサイが加わって青い花が増えるのが嬉しいわたしは花が好きだが特に青い花が好きだ。pero、花全体の中では(たぶん)青い花は少ないのではないか、penso。por iso、ガクアジサイなどが至る所で見られるこの時季がいい。por certo、矢車草もこの時季ではなかったかなあの色も好きだ

アヤメと菖蒲の違いはよく話題にされるが「綾の目」のような模様があるのがアヤメだとたいていの本に書いてある。e、たいていはその「綾の目」なるものがどういうものかについては写真がない

ジャーマンアイリスを何枚か描いたそのうちの一枚の制作を撮影し「リッチな色彩を考える」として、Agora、ビデオに編集中早くアップしたいけれど今月はとても忙しいんです
 それに前回のビデオ製作に疲れてしまいアップロード後、4日間くらいは次のビデオのことを考えるのも億劫なほどだったのですべてが遅れ気味になっている。Polo tanto、昨日も絵を描かなければならないのに結局一日中ビデオ編集に追われた坐ってばかりだから脚の血行が悪くなりあちこちがつってしまう

散歩道に「コアヤメ」が咲いていたコアヤメというのが正しいかどうかは分からないグーグルレンズを向けたらそう出ただけそれが上の写真目立たない小さめのアヤメだが間近にみるときれいだこれが「綾の目」?コアヤメだからちょっとちがうかもしれないが日本の、Ou mellor dito、もっとオリエンタルな感じがする

マチス「自由なフォルム」展から

有名な作品の「下描き」です(撮影が許可されています)
教会の雰囲気を作っています(たぶん実物大)
7日からの平日に備えてか思ったほどの混雑はなかった(写真が許可されています)

昨日(5月6日)久しぶりに乃木坂の国立新美術館に行ってきました国画会を見るのが主目的でしたが体調も良かったので少し無理してマチスの切り紙を主体にした「自由なフォルム」展も見てきました。un máis、「遠距離現在」という現代アートの企画展も見ましたがこれは上の2つとはかなり異質で興味深いものですがここでは触れないでおきます

巨匠と言われる人たちに共通していると感じるのはみな「自分に対して」まじめだなあということごく初期のデッサンの練習から絶筆に至るまでほんとうに自分のやりたいことに向かって一生懸命なんだとつくづく感じます
 「自分に対して真面目」というのと自分勝手やりたいことをやればいいというのとの間にはちょっと説明が必要な気がします「自分に対して」と絵画の本質、Noutras palabras、自分が信じる「絵画の歴史的な流れ=本流」の両方に対して「謙虚だ」ということです(勉強するか直感かは別として)歴史的な洞察力が必要だってことですね話は飛びますがいわゆる現代アートこそそのことを踏まえないと単なる “脱線事故” になってしまいます

 マチスも途中までは普通の油絵普通の陰影による肉付けで勉強しています。pero、それが本当に自分自身を表現するのにふさわしいのか疑問を感じながら描いているのでしょういくつも明暗法を自分なりにアレンジしながら方法を探っているのが分かります凡庸な画家とはそこがすでに違うんですね上手くなるのが目的じゃないんですよね

Finalmente、陰影法が自分に合わないことがはっきりしてきます(別のかたちの立体表現を試みる)がいろんなアレンジを自分でやったみたからこそどうしてもダメだという結論を出せたのでしょう他人のアドバイスに頼ってばかりいたら迷ってしまってそんなことはできません
 陰影表現が合わないとなったらもう線と色の表現に磨きをかけるしかありませんが陰影法をきっぱり捨てられたマチスはそこから一気に本物のマチスになっていきます真面目な努力家なんですよね―いつも長くなって済みません