「できること」は人によって違う。そんなことは常識。だけどそれは言葉だけで、わたしなどはつい、「(人と同じ程度のことは)自分にもできそう」な気がしてしまう。「人と同じ程度の」の「人」ってどんな人のことなんだろう。「同じ程度」ってどうやって計るのか、なんて考えずに、漠然とそんな気になっている。
歌を歌う。楽器を演奏する。魚釣りをする。山登りをする。詩を書く。料理をする・・項目を挙げればきりがないが、どれをとってもプロ級に上手な人もいれば、不得意な人もいる。Aber、「普通」とか「人並み」ってどの程度なのか、誰にも判定できない(のではないか、と思う)。なんとなく、「自分の中の平均値?」に照らしているだけ。経験がなければ、それさえ作れないはずなのに、なぜか(神のように何でも)分かっているような気になっていたりする。どうしてなんだろうか。
一種の「情報・知識」があれば、「知っている」ような気がするんだろうね。知識の中には「他人の失敗」というのもある。自分はそれよりはちょっとマシかな、というヤツ。そうすると、「できること」というのは、一定の知識があり、しかもそこそこ「自分はもう少し上手くできる」くらいの自信があるもの、ということになるのだろうか。
未経験のことなら、できるかどうかなんて、やってみなくては本当は分からない。できても出来なくても、やってみれば何がしかの手応えがある。それを基に、できそうだと感じたら、もう少し深くやってみる。そういう意味なら「できることから」ではなく、「出来そうなことから」にタイトル変更だ。一方、いろいろやってみて、どれも薄い手応えしか得られなかった経験者からすると、その(薄さの)濃淡から、「とりあえず、これなら」という感じで、「できたことから」になるのだろうか。
最近、「なんでこんなことができないんだろう」と頭を搔きむしることが増えた。それが、髪の毛が薄くなったのと関係があるかないかは知らないが、本来やるべきことを忘れて、こんなどうでもいいことを妄想していた。これじゃ、できることもできなくなるワケだよね。