13日の金曜日

「うみのそら」(習作) 2001

今日は13日の金曜日キリスト教国では不吉な日らしいがユダヤ教のイスラエルではたぶん関係ないのだろうイスラエルとハマスの戦い(装備等の差から考えれば “戦い” にならないだろう)に心が痛い自分のかなりひどい腰痛も鎮痛剤のおかげでだんだん歩けるようになってきた気持ちに少しだけ余裕が出来てこの争いに目を向けている

日本で一般的に見る報道ではほぼ「ハマスが一方的に攻撃をしかけ」「イスラエルの民間人に多数の犠牲」「イスラエルには報復する権利があるアメリカは武器も支援」などと報道されているガザからの視点報道もあるにはあるがマイナーな扱い方だ

「殴ったやつが悪い」のは確かだ。ond、なぜ殴ったのかその理由を問わないのは論理的ではない結果には必ず原因・理由がある
 ガザというイスラエルが一方的に(今回の報道では “一方的” のオンパレードだ)作ったいわゆる「天井のない監獄」を(日本も含む)世界が容認してきたことに本質的な問題があることは誰の目にも明らかそこに生まれた子どもは生まれた瞬間から終身刑を言い渡されたようなものイスラエルが勝手に作った壁の向こうへ一歩も出られないまま一生をそこで終わらざるを得ない
 あまりに理不尽とも見えるその状況を国際社会は見て見ぬふりをし続けてきた世界の「人権」管理者であるかのようにふるまうアメリカがそれを容認するのもダブルスタンダードと言わざるを得ない中国の人権侵害を非難するアメリカだがアメリカ自身の人権問題には眼をつぶったまま
 殴った理由の大部分はたぶんそこから生まれてくる実際にはガザの人々が攻撃したわけではなくその不満を吸収したハマスによるものだが鬱積した人々の憤りがハマスへの支持になっていることは報道の通りだと思う自分がガザに生まれていたらと想像すれば「報復の権利」の前に「殴る権利」もありそうな気がしてくる

戦争の原因は複合的だどれか一つの理由だけでは始まらない第一次世界大戦も「サラエボの一発」などと形容されるけれどそれは一本のマッチに過ぎないマッチを擦ればすぐ火が点くような状況がすでにそこにできていたからでその状況がなぜできたのかといくつもの「なぜ」を追いかけなくては「2発目、3発目」を防ぐことはできない
 「人の命は大切」と言いながらなぜ銃の引き金を引くのかあるいは引かざるを得ないのか本音とタテマエパワーゲームの前には人の命など何の意味もないことをまざまざと見せつけられている