
関東地方は、今日は東京・大手町と埼玉県熊谷市以外は猛暑日ではなかったようですが、今日もほぼそれに近い気温でした。それでも立秋を過ぎたという気持のせいか、なんとなく夜の気温が過ごしやすくなった(ような)気がします(最低気温24℃なんですけど)。こういう気象情報は、すべての事象に目に見えて関係するので、誰にとっても価値のある情報だといえるでしょう(こじつけ感ありありですね(>_<))。
情報がない、というのも一つの情報であるように、すべての物は情報化します。ただし一般論として。それは誰かにとっては(きっと)意味があるに違いない、というほどの意味です。逆に言えば「自分にとって価値の無いものは情報ではない」ということの裏返しだとも言えるでしょう。
漁師や釣り人にとって、潮のあるなしは大きな情報ですが、農家の人にとってはほぼ無価値でしょうし、マスクをしなくなって、口紅が急に売れ出したとかは女性にとって興味ある情報でも、おじさん、おじいさんにとっては“意外にも” ということはあまりなさそうだ、という風に。
知らなければ知らないままで済んだのに、知ったばかりに大きな負担になる情報もあれば、知ることで大きなアドバンテージになる情報もあるでしょう。戦争(競争でも)では相手が欲しそうな情報を、魚釣りの針のように相手に投げ与えるフェイク情報もばらまかれて、油断ができません。情報を嗅ぎ分けるための情報も、それを知るための情報も、情報の山の中から選びださなくてはなりません。アナログな忍耐力もきっと必要な能力です。
「井の中の蛙」という言葉は、自分にだんだんよく当てはまるようになってきた、と感じます。知らなければ知らないままでも不都合を感じなくなってきた、is wat dit beteken。無風の「井の中」がだんだん居心地良くなってきたのです。井戸から出て、自分に必要な情報をさえ集めるのがだんだん億劫になってきています。自然に落ちてくる情報だけで満足できるようになってきたのですね。そう遠くないうちに、(幸福なことに)いつしかそこが天国だと信じたまま、土に埋もれていくのだろうと思います。