"द स्पार्कल" कहता है "अब सुखद है"

स्वेट ब्लड हॉर्स मिक्स्ड मीडिया 2010

क्या आप "अब सुखद" हैं?。बहुत हाल में、मैंने इसे कई लोगों से सुना है、मैंने सोचा कि इसका क्या मतलब है。लानत है、मैं अपने आप、मुझे यकीन नहीं है कि मैं अब कह सकता हूं。

एक व्यक्ति कई साल पहले कैंसर से पीड़ित था।、एक बिंदु पर मैं सार्वजनिक रूप से नहीं होना चाहता था、जाहिरा तौर पर वह भी उदास है、वहां से, मैंने अपनी सोच बदल दी、वह कहता है कि वह एक सरल अभी तक जीवन पूरा करने का आनंद लेता है。यद्यपि वह एक बुजुर्ग व्यक्ति है, वह कई शौक और कई प्रतिभाओं के लिए अपनी प्रतिभा का उपयोग करता है।、अपने स्वास्थ्य पर ध्यान देते हुए चारों ओर उड़ने के दिन。एक व्यक्ति लंबे समय से एक गंभीर बीमारी से पीड़ित है, और कई बार निराशा शुरू कर रहा है、उन्होंने कहा कि उन्होंने एक लुल्ल को बनाए रखते हुए ड्राइंग की खुशी महसूस की।。अन्य भी、इसी तरह, कहीं न कहीं, हम एक कठिन समय को पार करते हैं (या भले ही हम हवा के बीच में हैं)、कुछ लोग हैं जो कहते हैं "अब अब सबसे सुखद है।"。

मुझे यकीन है कि जब मैं छोटा था तब मैंने वही शब्द सुना होगा।、अब मैं बूढ़ा हो गया हूं, मैं अलग तरह से सुन रहा हूं。जब मैं छोटा था, तो मैं इसे "छोटी संतुष्टि" के रूप में सोचता था और कुछ हद तक अवमानना ​​करता था।。अब、समय के साथ, जितना अधिक मुझे लगता है कि यह "मूल्यवान" था।。जिन लोगों को सवाल का जवाब देना मुश्किल लगता है "क्या यह अब मजेदार है?"、जो लोग जवाब देने का मन भी महसूस नहीं कर सकते、मुझे यकीन है कि उन लोगों को वास्तव में गहरा समझ है कि यह कितना मूल्यवान है।。
न केवल यूक्रेन में युद्ध में、कल रात, कई शरणार्थियों को ले जाने वाली एक नाव कोस्ट गार्ड बोट के सामने पलट गई।、100ऐसी खबर थी कि जो बच्चे पास में थे और जो बच्चे सवारी कर रहे थे, वे लगभग एक हताश स्थिति में थे।。यही दुनिया भर में चल रहा है।。बिना युद्ध के भी जापान में、भारी वर्षा、भूकंप के कारण अचानक एक घर खो गया、उन्हें बाहर फेंकते हुए देखना दुर्लभ नहीं है。चलो इसे एक ऐसा देश बनाते हैं जहाँ हम "युद्ध" कर सकते हैं、मैं केवल इसे मूर्खता का सार मान सकता हूं。

अब、अपनी पसंदीदा तस्वीर खींचें、आप अपने पसंदीदा संगीत को स्वतंत्र रूप से सुन सकते हैं。そのことがけっして「小さな満足」なんかじゃないということがやっとこの歳になってわたしにも解ってきたということですわたしは随分とぼけた人間ですがそれでも人間だけでなくあらゆる動物植物も「生きている」ということはこの瞬間でさえ実は命の奪い合いをしていることに他なりませんそこまで含めないとしても「今が愉しい」と言えることは小さな満足どころかこの有限の地球の上では「奇跡」に近い輝きだと言っていいのではないでしょうか

「ベゴニアを描く」をアップロード

「ベゴニアを描く」(前編)をアップロードしました後編もご覧くださいと言いつつ編集はこれからなんでも後手後手のわたしです

前回に続きナレーション無しで試しています細々と解説を入れるのがいいのか悪いのかは聞く人によって様々だと思いますが映像があるのですから言葉による解説はやはり必要最小限それもできるだけ耳を使わない方がいいのではないかと考えての試行錯誤です

制作としてはわりに楽しくできました理由は「アドリブが多い」からYouTubeの絵画コンテンツの原則は(勝手に原則なんて言ってますが)「超々初心者向け」に作ることのようです多くの画家たちがYouTubeで初心者向けに役立つコンテンツをたくさん載せていますがそれでも「難しすぎるんですか~?」とか時どき悲鳴をあげていますね(笑)
 そういう人に向かってアドリブなんて解説しようもないのでただ見て頂くしかありません。ड्राइंग के दृष्टिकोण से、それが「絵」であり「絵を描く理由」のようなものですからそれをそのまま見て頂くのが一番本質的だと思うのですがYouTubeはなんでも解説してくれると思いこんでいる人からしたら「不親切」「初心者をほったらかし」という評価になりかねませんいったん「不親切」というレッテルを貼られたらネットは怖いですからなるべくそういうことは避けるようになってしまいますね
 逆に言えば基本は同じでも画家たちは自分の作品を描くときは誰もYouTubeで見せているようには描いていないんですねもっとずっと荒っぽかったりスピードも何倍も速いし見ている人が辛抱できないほどねちねちと描いたりしているはずなんです

大脱線してしまいましたがそんなわけで「青いカモメ」向けの動画になってしまいました

ベゴニアで遊ぶ

ベゴニア 水彩/コットン紙 F6
ベゴニア(制作中)

我が家の庭になかば打ち捨てられたベゴニアがひっそりと咲いています。लेकिन、それはひっそりのままにしておきます。。これはずっと前に撮った写真をもとに最近続けて練習しているベゴニアのなかの一点これとはまた別の制作を現在YouTube用に編集中ですが展覧会も重なりアップロードまでに時間がかかっています

この賑やかさ(うるささ)は“あえて”やってみたものです制作中の絵と比べるとかなりうるさく感じますねこの状態はいわばターニングポイントでここからまったく別バージョンの絵にすることも可能です今回はあえて“うるさいかも知れない”方向にしてみました

教室で見せたら「着物の柄みたい」という評価がありました。अच्छा ऐसा है、うまいこといいますね一部にほんの少し立体感をつけてありますが基本的に平面的なるべく平坦に塗っているからでしょうそれと色合いコットン紙はそれに適しているようですこれまでもたくさんの「練習」をしてきましたが最近YouTubeをやるようになってからは練習テーマがだいぶシンプルになってきています

यहाँ、少し疲れ気味?それもあって水彩を多く描いているのかもしれないとふと思いました小さな水彩の習作テーマも課題もはっきりしているので「思い悩むこともなく」集中して描く身体を使うことがストレス解消になっているのかもしれません