
今日は水彩で篭を描き、撮影の練習もしてみた。絵を描くのはいいとして、撮影などは苦手だ。カメラを使う割にはカメラそのものにあまり興味がなく、したがって知識も薄い。いい加減に使うから結果もそれなり。だから興味が湧かない・・・の悪いループにはまり込んでいる。自分にとってカメラを使うことは必須なのだから、興味云々ではなく知識・体験を得ることも必然なはず。なのにそうしてこなかった。逃げていたのだ。
いまさら、लेकिन、जापानी लोगों की औसत जीवन प्रत्याशा को देखते हुए, इस बात की संभावना है कि वे 10 साल आगे रहेंगे।。उन दस वर्षों में से कितने में लगेंगे?、मैं वास्तव में नहीं जानता कि क्या मैं फोटोग्राफी के बारे में उचित ज्ञान प्राप्त करूंगा।、मुझे लगता है कि अगर मैंने ऐसा किया तो मैं बेहतर समय ले पाऊंगा。अब वास्तव में देर हो चुकी है。尻に火が付いていることにさえ気づかず、それが消え、焼けぼっくいも過ぎて灰になりかかって、やっと気がつくこの鈍さ。「気づくのが遅すぎますよ」とある人に言われてからでも20年も経っている。
撮影が苦手(特に制作中の)なのは、一つには「描き方をカメラに合わせる」からだ。写真では紙をテーブルに貼り付けてある。カメラが固定されているから、それに合わせているわけだ。普段はこんなことしない。紙は上下左右、その時々で描きやすい方に傾け、回転させながら描く。水平にしたり、立てかけたりもする。紙を固定するだけでまるで、磔(はりつけ)台上の罪人にされたような気分になる。
普通は2~3台のカメラで撮影し、その時々でいいアングルのカットを使うものらしい。けれどわたしは1台しか持っていない(スマホも入れれば2台?)し、なにより狭くてそんなスペースがない、などという泣き言はどこにも通用しない。―必要なら何としてでも確保せよ―確かに仰せの通りでございます。わたしが悪うございました。
けれどまあ、撮影がうまくできなくたって、とりあえず1枚描くきっかけにはなったじゃない。というところで、チョンチョン。