
さまざまな事情で絵から離れた人から時々ハガキなどを頂く。それらのなかには「あの時間は最も幸せな時間でした」と書いてあることが少なくない。多少の美辞麗句はあるとしても、正直な心情も込められていると感じる。
一枚の絵を描くのには大小さまざまな山や川を越えなくてはならない。それらの幾多のハードルの中でいちばん大きな山が「時間」だろう。「お金」という人もいるだろうが、それはたぶんお金を稼ぐために絵を描いている時間がない、ということだと解釈している。コストという意味では、絵は最もお金のかからない精神的な遊びのひとつだ。実際に、鉛筆一本で自分の世界観を表現することは誰にでも可能だから。原始時代の洞窟壁画には鉛筆すらなかった。
家族の成長とか老化など、いろんな条件を勘案して、「自由に伸びのび(気楽に)」絵が描ける(絵に限らないが)時間を試算してみたことがある。同じことを考える人は少なくないらしく、それらの意見を総合するとだいたい3~10年くらいになりそうだ。日本人の平均寿命が男女とも80歳を超えて久しいのに、この短さは何を表しているのだろうか。―わたしの周囲の人々の多くは皆さん軽く10年以上描き続けている。See tähendab、単に“ラッキーな人生”ということではなく、むしろ相当な犠牲を払ってでもそれを続けているということになるのだろうか。
ある女性美術家がわたしに言った。「絵を描いている人はみんな愛しく思える、可愛いと感じる。」自分が愛する「絵」を、ずっと愛し続けている人はみなかけがえのない仲間だ、そんな気持ちの表現だろうと思う。彼女ほどの心境にはわたしまだ達していないが、犠牲を払うほど絵は純化していくような気がする。シーンと集中して筆を動かしている人を見ていると、幸福というのは外から見えるようなものではなく、そういう一瞬一瞬にあるものかな、などとも思う。