
悪い意味で言うのではない。「凄すぎる」という意味での「モンスター」である。細かい内容はほとんど知らないが、パラリンピックの競技には障害の程度に応じた細かい規定があるらしいことは分った。団体競技では障害の違いを混ぜて(適切な言い方ではないと感じるが)、一つの競技から不利な障害者(これも適切な言い方とは思えないが)を排除しない配慮がなされているようである。
maar、さらに重度の障害者、たとえば寝たきりの人がストレッチャーに乗って参加するなんてことはできない(たぶん)。五体満足であっても心臓に重い障害があるような内部障害の人もたぶん無理。そしてそのような人は決して少なくないと思われる。そのような障害者から見れば走れること、泳げること自体凄いことではないだろうか。車いすテニスや陸上走り幅跳びなど見ると、健常者のアスリートだって彼らに勝てる人はそんなに多くないのでは?と思うほどのハイレベルだ。
ましてメダリストは夢のまた夢の世界の住人。その彼らにして「銀メダル」「銅メダル」が「残念」と言う。「次は絶対金メダル」。ここまでくると、正直言ってわたしは共感できなくなる。「金メダルをとればパラスポーツへの注目が集まり、すべての障害者への理解が深まる」と選手も多くの関係者も言うけれど、そしてそれが嘘だとも言えないけれど、それが銅や銀でなく、なぜ「金メダル」でなければならないのかの説明にはなっていない。「政権与党でなければ自分の政策を実現することはできない」「そのためには『与党』で『当選』するしかない」と、当選本位の運動をする人たちの論理と奇妙に似ていると感じるのはわたしだけだろうか。
メダルと賞を同一視する人もいる。わたしは全然違うと考えている。(金)メダルは「(第1位の)証明」だが、賞はどんな場合でも「(あなたは更に発展できますから)頑張ってください」という奨励の意味が強く、第何位という証明はしないのである。オリンピックでもパラリンピックでも、「メダル」に替えて「賞」にすればよいと思う。そうすれば、「国別のメダル獲得数」なんて、くだらないどころか有害でさえある報道もなくなるだろう。