「時代」に乗り遅れる

「Hurry up a little bit(少し急いで)」水彩 F4

先日のブログに載せた絵を描いたとき途中で何枚か写真を撮っておいたのでそれをつないでみたここ半年は「動画」とその編集で頭いっぱいなのでとにかく途中経過はなるべく撮っておく

ウォーキング中イヤホンからの「乗り遅れない」という語が耳に引っかかったある業者が「時代の波に乗り遅れないように○○をする」という普通なら聞き流すような流れだったと思うが「時代の波ってその波の中にいたら分かるものか」といういつもの反発心がことさらにその言葉を「保存」してしまったらしい

もしかして私がいま動画(編集)で頭を悩ましていることも「時代の波」に乗るためなんだろうか?私自身の絵画史では「絵画の時代」はすでに終わっている何かの文章にそう書いた記憶もあるけれど今も自分は絵を描いている絵画の時代はすでに閉じたのに?それは「絵を描くことは私の宿命」だと感じているからだどんなに時代遅れになろうと宿命ならば仕方ないそう考えているからだーそれならなぜいま動画なのか

ひとつにはパソコンが手軽になり「動く絵=動画」が自分にも手の届きそうなところにある(?)からだ世は動画で溢れているTV会社など専門業者でなければ手の届かなかった映像の世界を若い人たちはスマホを使ってインスタグラムYouTubeなど日記を書くように気安く作っている油絵具じゃなくたって水彩絵の具じゃなくたって自分たちの新しい絵の具で絵を描くよそういわれているような気がするそれなら私も新しい道具で絵を描いてみたい。Iżda、そう思うこと自体時代の波に乗り遅れまいという心理なのかいまは判断できない(現状ではまだ全然ダメだが)もう少し頑張れば私も「新しい絵の具」でまた新しい自分の絵を描けるのではないかとなんとか希望をつないでいる