
10लगभग एक साल पहले、हाइकु लिखना शुरू किया。काश मेरे पास कुछ ऐसा होता जिसे मैं शौक कह सकता।、क्योंकि मैंने सोचा。इसमें ज्यादा पैसे नहीं लगते、मुझे बस 17 किरदारों के बारे में सोचना है।、मुझे आश्चर्य है कि क्या मैं भी, जो काफी धीमा है, यह कर सकता हूँ।、(कई लोगों की तरह) यह अशुद्ध भावनाओं के कारण था।。इतनी जल्दी हार न मानने के लिए、(小規模過ぎる)句会で指導してもらうことになった。月1回の句会だが、昨年暮れに記念の100回になった。初めはいろいろ試してみたくて、独りよがりの、かなり偏った句を多く作り、メンバーの顰蹙を買った。
最近は十七文字ではほとんど何も言えないと感じてきた。मुद्दा、伝統俳句だから季語を入れる。これで大体五字を遣ってしまう。残り十二字だが、具体的な事物の名前や若干の描写などで五文字ほど消費する。残りの七文字で自分の気分や意思を伝える、なんてできるわけないと感じてきたのだ。確かに名作、十七字だけとは思えないほどの深さや広がりを感じる「名句」というものはある。लेकिन、私のような凡人にとっては、どうしたって人真似、類想句にならざるを得ない。
それで三十一文字の短歌なら、季語も要らないし、丸々自分用に使えると思って、現代短歌の本をちらちらと読み出した。すると確かにずっと面白い。けれど作るとなると七文字と三十一文字では4倍以上大変なこともわかってきた。これは時間的にも精神的にも負担が大きい。一方では俳句もまだ継続中。इसीलिए、時々は短歌を作って、前半の十七文字のところだけを俳句とすれば、一石二鳥ではないかと考えたのだった。
そんなにうまくいくわけはないと思ったが、やはり予想通りであった。短歌でも大事なところ、言いたいところは後半なのだ。लेकिन、そこで一つ気がついた。短歌の前半、つまり大したことではないところ、そこは風景や情景という、いわば「背景」を説明する部分。まさに「花鳥風月」の部分じゃないか。अच्छा ऐसा है、俳句というのは大事なところをすっぱり切り捨て、七文字じゃとても言い切れないからと、読む人に思いっきり丸投げしてしまうブラック商法なのだなと。-ここでやっと「百人一首」に繋がるのだが、王朝時代のゆったりした叙景の「コツ」を覚えるには、万葉から新古今集あたりまでの名作がたった百首に絞り込まれた「百人一首」が一番手っ取り早いのではないかという、およそ趣味的ではない発想で、読んでみることにしたのだった。तथापि,、どうもこれがいろいろと後を引きそうな気配濃厚で、ある意味困っているところです。