
「欠点」って、なんだか恥ずかしく、隠したいことのように思えます。men、どうやらそうでもないようなんです。
皆さんはテストで「満点」をとったことがありますね。ニコニコしてうちに帰り、親に見せましたね。親もニコニコして、おかずがちょっと増えたりして。それできっと「次も満点をとりたい」と思いましたね。
ところが、決して勉強をサボったわけでもないのに、次からはなかなか満点は取れなかったでしょう。他の子だって満点をとって、親のニコニコ顔を見たいし、おかずも増やして欲しいと思っているからです。先生だって、毎回毎回全員が満点をとったら不安です。「私のテストの作り方がおかしいのかしら」。悩みすぎて自殺してしまわないためには、テストを難しくするしかありません(テストをしない方法もあるのですが、この国ではテストでできるだけ子どもを苦しませ、こんな苦しい思いをするくらいならもう勉強なんかやめて働くのがいいさと思わせて、労働人口を確保しようという政策で学校を運営させているのです。先生も公務員である以上、逆らえば、国に人質にとられている自分の子どもと一緒にホルムズ海峡へ送られてしまう危険性があるのです)(冗談ですよ、念のため)。
そんなことは子どもでも知っていますから、そこは阿吽(あうん)の呼吸で、適当に平均点以下だったり、あと少しで満点だったり、操作をしましたね。先生も自殺せずに済み、「惜しかったね」「今度は頑張ったね」と気楽に褒めてくれたと思います。子どもが、本当は親や先生より賢いことは、子どもなら誰だって知っています。
「欠点」というのは、そんなふうに周りを平和にするものなんです。自分よりかけっこの遅い子がいる方がみんなは安心だったじゃありませんか。そしてその子に優しくなり、「一緒に練習してあげるよ」と言ったはずです。かけっこで一番遅い子になるのが心配ですか?戦争中、かけっこで一番になるような子は、日の丸の旗1本持たされて遠いジャングルに送られ、そこで機関銃や飛行機に追われて走り回り、75年経ってもいまだに帰ってこないじゃありませんか。
「欠点」があって、初めて人は物が見えるようになります。欠けているところから、世界が広がるのです。「満点」のような人間になってごらんなさい。目が塞がっているのと同じです。自分の影すら見えないから威張りくさり、他人を馬鹿にするのが当たり前になってしまいます。欠けた穴から、自分の影をよく見、時々その穴から世界へ出入りするのがいいのです。