家庭科の先生

男子厨房に立ち入らず誰言ふとも知らず世間にてはただ男の厨房仕事の手伝ひを厭へる分別ならん我が家にては盛んに「男子繁く厨房に立ち入りたまへhelpしたまえ」と呼ばわれるも男子何故かいずれも耳遠く聞こえぬが難なり

我が妻「料理洗濯掃除」の先生也「先生」の意「不如意現実」往時「唐変木」先生の遠隔子孫なり先生その血濃厚なるを家人驚嘆す是ダーウィン卿定理の奇跡の証左とならん

以下に先生の偈その一例を挙ぐ料理:「料理は簡単を以って旨とすべし」簡単するにお惣菜買えば佳し是非もなし洗濯:「洗濯の要は清潔にあり」使い捨てに勝る清潔なし先生曰く「干せば花粉など浴び」ると言ひ「以ての外」至極ご尤も掃除:先ず以ってゴミを出さぬが要なり塵芥の類自然循環にて雲散すべし人亦自然の一部なり塵芥にて苦しむなどまさに自業自得とも心得先ずは心療科にて「清潔病」なる病の心療を施すが肝心ビニール袋など古来在らぬものにつきては人知の及ぶところに在らず勝手次第とのたまうただ神のみぞその行方知るところなり