

ふたつの習作。どちらも意外に手間がかかったわりにはいいところの無い、ガッカリの習作。2枚とも、描いたあとの絵の具を何度かブラシでこすり落として修正を試みたが、ここまで。上手に描くことを目標にしてはいないが、それにしても下手くそだ。習作だの何だのという以前に、練習が足りませんね。


ふたつの習作。どちらも意外に手間がかかったわりにはいいところの無い、ガッカリの習作。2枚とも、描いたあとの絵の具を何度かブラシでこすり落として修正を試みたが、ここまで。上手に描くことを目標にしてはいないが、それにしても下手くそだ。習作だの何だのという以前に、練習が足りませんね。

良いスケッチができた、naħseb。ラッキー♪ 練習の成果です。と言いたいところだが、自己評価はえてして当てにならぬもの。「良い」というのはやめて「気にいったスケッチができた」と言い換えておこう。
わたしが「人物スケッチ」が好きな理由は、わたしと、わたしが描こうとする人の間に、(不連続な)それぞれ個別の感情があること(それぞれ全く別のことを考えているという意味です)を表現できるときが “たまに” あること。そして、それを捉えられる確率が1%なら、100枚描けば1枚くらいはそれを捉えられる確率があることに、賭けているってことですね。
モデルさんは教育学部の学生さんですが、先生になるよりは一般企業への就職を目指しています。。AIなどのテクノロジーによって、世界は広く、開かれていくイメージを持っていましたが、AIが普及すればするほど、就活生にとって、世界は狭く、壁は高くなっていくのではないか、と一方では心配な面もあります。

絵画教室でのモデルスケッチ、続きます。映像で見るのもいいけど、生きて、呼吸をして、時に笑ったりする「生身の人間」は美しい。それは彼女が美貌だからではなく(実際、美貌なのですが)、何より彼女自身が「(自身の)希望を持って」生き生きしていることの方に力点があります。
数年後、美術の先生として働く希望を持って、大学で勉強中です。モデルをやってみるのも単なるアルバイトというだけでなく、自身の将来への、一つの経験としてやってくれているのだと感じます。もちろんわたしたちも、それを応援しつつ、彼女の学びに繋がって、別の何かを学ぼうとしています。
それに応えるタッチで描いているつもり、ですが。