解説バージョンをアップしました

「ポインセチアを描く」解説バージョンをアップしました先日アップした「ポインセチアのスケッチ」の解説ロングバージョン(15分11秒)です並行してやっていた、Pigem、このバージョンの一部をまとめて絵を描いていない人にも興味を持ってもらえるようにした(つもり)のが「スケッチ」こちらはいま実際に絵を描いている人向けのものでモチーフは同じでも中身も方向性も異なります

この後は少し時間がかかりますが年内には風景の現場スケッチのビデオを公開したいと思っています鳥の声がわんさか聞こえる中でのスケッチはいいですよ年内と云ってもあと2週間年の瀬はいろいろ忙しくなるので結構必死でやることになるでしょう

ついでに言っておくとこういう類のビデオ(わたしのとは限らない)はスマートフォンでももちろん見られますが可能ならばぜひパソコン上で見てくださいやっぱり画面が大きいとたとえば水彩なら紙の上を流れる水の量も分かりますがスマートフォンでは筆の動きしか分かりません絵を描いている人はぜひそうしてください

praeguseks、今日はこれでゆっくり寝られそうおやすみなさい

青いカモメたち

sさんの練習帳から
Tさんのフェルトペンによるスケッチ
Tさんのフェルトペンスケッチ2

青いカモメの絵画教室の2つのクラスの人のSさんは個人練習帳から1枚Tさんは先日のスケッチ会のものを2枚ピックアップさせていただいた

Sさんの水彩スケッチは難しい対象を選んでしまったかもしれないモチーフの実物も見せてもらったがほぼこの通りだった微妙な色のグラデーションでそのうえややドローンとした図柄ひとことで言えばちょっとデザインが良くないのだがそれはSさんのせいではないしかも描くために選んだのではなく必要で買ったものを描いたまでのことよく描いてあるこのような素材を時間を括りだしてはコツコツと自らの練習台にしている継続は力なりをかならず体験するはずだ
 Tさんのスケッチには子どもの絵のような楽しさがある本人的にはともかく一見遠近法を無視したような描き方がそんな感じを強く引き出している透視図法的な感覚がしっかり身についていないせいもあるが仮にきちんと正確な図法で描かれたらこの面白さ(不思議な空間体験と言えばいいんだろうか?)がもっと出るかと言えばたぶん真逆だろう絵画の奥深さはじつはこういうところにある、Ma arvan nii。

写真のように正確な描写技法・図法・色彩理論などの正しい理解それは確かに人を納得させるには必須の条件だった少なくとも多くの人々が比較的「無知」であった近代までは視覚を通して“教育”するのが絵の役割の一部でもあったからだ「客観性」がなければ教育は説得力を持たないから当然である
 ところが現代では「人間というものはよく解っているようで実はよく解らないところがある(変な)生き物だ」ということが以前よりずっと分かってきた人間への理解が深まるほど一方で謎はむしろ深くなってきたのであるやや極端な言い方をすれば明日自分が何を考えるかはその時になってみなければわからない「客観性」と「主観性」の境目が再び曖昧になってきているということでもあるだろう

そのような人間理解のなかでは「人間の物の見え方は透視図法だけが正しい」などと主張する方が「正しくなさそう」である透視図法や写真的正確さは比較的説得力のあるひとつの表現法だと考えておくのがせいぜいでそこにこだわって良し悪しを判断するのは適切ではなかろうもちろんSさんTさんの描き方が正しいという言い方も同様の意味でおかしい―これは確かにわたしの絵だけれどまだ「わたしはわたし」と言い切るまでの自信はないわとそれぞれの絵が小声で語っているのも正直で好ましい

Poinsettia eskiis

Sain lõpuks video üles laadida.。40Ma ei saanud järgmistel päevadel ühtegi laulu välja anda.、Kuigi ma ei olnud eriti hõivatud.、Isegi kui ma ei tundnud end hästi、See ei ole nii, nagu oleksin lõdvestunud.。Arvasin, et proovisin kõvasti, aga、ei saanud hakkama。

See video ka、Algne video oli üle 2 tunni pikk.、lõika see、Kiirendasin selle edasi ja lühendasin umbes 22 minutini.、Tundsin, et mul on kõik koos.。aga、Siis see, mida ma tundsin, kadus kuhugi.、Peale teiste、Kui ma seda ise nägin, osutus see üsna igavaks.。Siiski、2Mul ei ole julgust aega raisata。Ma jamasin kolme sellise videoga.。

tagasi algusesse、Mõeldes tagasi selle aja teemale, selle intensiivse punase värvi väljakutsele、Kui soovite teha videot selle olemusest,、1See oli läbi minutite ja 20 sekundiga.。Kui ma videot ikka ja jälle vaatasin, hakkas see mu sees keema.、Olen jõudnud punkti, kus sellest piisab.。Kuni punktini, kus ma mõtlesin: "Ei ole vaja videot inimestele näidata."、Veel üks samm。Kui te sellest kaugemale lähete、Mul pole enam motivatsiooni videoid teha.。mingi tühisus。

siin、Protsess on nagu igav。Pärast selgituse nägemist ja kuulmist、Ma ei tea midagi konkreetset。oh kallis、Ma arvan, et ma joonistaksin selle nii、Ma saan ainult pead noogutada, kui asjad ootuspäraselt arenevad.。- jätkake nii palju kui võimalik、Samuti sooviksin üles laadida lõpetamata "22-minutilise versiooni"。Samas pole see huvitav、Võib-olla mõned konkreetsed näpunäited、Ma arvan, et saate selle sealt kätte。Mitte "kas"、「どちらも」やってみることにもう少し気持ちを向けないといけないようだ。。