コロナの4ヶ月

「 ダリア 」   水彩 f10

3月14日から始めたビデオ編集やっと12回分が今日(7月15日)終わったぴったり4ヶ月かかったことになるこの間に初体験のビデオ制作以来18本のビデオをアップロードした

4ヶ月間毎日平均10時間ほどパソコンに貼りついたまま過ごした気がするニュースもラジオで聴くだけおかげで必要以上に「コロナ頭」にならずに済んだのかもしれない自粛警察が登場するなど世の中がコロナ頭だけになるのではないかコロナ・ウィルスよりそちらの方が怖い気がした(実は今も)

ジョージ・オーウェルの「1984」の怖さをあらためて感じる感染防止にかこつけて行動履歴から自分が「濃厚接触者」であることを教えるアプリを政府が配っているそもそも「接触」では細菌の場合と違い感染の可能性が低いこと可能性が高いのは飛沫吸入による感染だがこちらはマスクでは100%無効であることは学者たちのほぼ一致した見方だアベノマスクのウィルスからの防御能力ももちろんゼロである例え1%でもなどと非科学的な幻想は持たない方がよいただし自らの飛沫放散を抑える効果はある程度あることも確からしいからまるっきり無駄というわけではない

武漢での発生確認から7ヶ月以上経ってこれらのことを見聞経験してきた緊急事態宣言からはまる3ヶ月感染は再び拡大してきたが今度は経済界(って誰のこと?)の要請を受け「GO toキャンペーン(全国的な旅行奨励策)」を前倒しで実施するという頭が狂っているとしか思えないこういう政策を立案したり応援する人々の頭には逆にコロナウィルスを注入してやる方がよい薬になるのではないだろうか

「コロナ」の2ヶ月

「錦糸に輝く蘭」を治療中

コロナの影響を直接感じるようになってから2か月今の様子では25日にも非常事態宣言が解除されそうだという解放感なのか単に政府主導でマスコミが広げる「新しい生活様式」を受け入れ始めているということなのか「新しい日常」がすでに始まっていると感じるようになった

制作しながらNHKラジオアーカイブスで「小田 実(まこと)」を聴いていた聴きながら描きながらいろんなことを考えた

彼の肉声を聴いていると今まさに目の前に起きていることを前提に話しているように感じる内容が古くならないというより彼が提起した問題がほぼ未解決のまま今も目の前にあるからだろう

もう50年近くも前の話が今も古くないということは一歩も進んでいないということでもある下手をすると後退でさえあるたとえば「自由」について(自分のことを考えられる環境すなわち奴隷的でない環境があるなら)おそらくは一生のうち誰でも一度はそのことについて考える(考えた)はずだその考えと現在の自分がどうつながっているか「コロナの2ヶ月」はいろんな意味で無駄ではなかった(過去形?)と思う

オンライン授業体験

Apple in apples  2020 oil on canvas

コロナ禍によって初めて体験したものはいくつもありどれも貴重なものだが「オンライン授業体験」もそのひとつ受ける側ではなくする側として

はじめは「大変だどうしよう」という個人的な技術的な問題が主だったデモ制作を考え撮影し文字入れナレーションを構成動画を編集して一本のビデオを作り学生に配信する学生からの質問等に応答する最初の1回分(23分)の授業ビデオを作るのにもまるまる3週間かかったそもそも動画編集をしたことがなかったしパソコンにプリインストールされているソフト以外に選択肢は無かったからそれは必ずしも私の不名誉でもないと思うその後はだんだん慣れてきてなんとか8回分くらいまでは準備できた

ところが非常事態宣言が首都圏でも5/25を境にどうやら解除されそうな雲行きだ解除されるとオンライン授業から従来の「対面授業」に戻るだろう。aber、せっかくビデオの準備したのに〜などとは思わないやっぱり学生の顔を見ながらやった方が楽しいしビデオの準備をする過程でも得たものは少なくなかったから

解除について心配なことがあるせっかくオンラインでの(一部)授業が可能なだけでなく寧ろ有効だということがサッと忘れ去られるのではないかということオンラインでの(一部)会社経営が成り立つこと出勤しない方が効率よく仕事できること等に会社員自身が気づいたことそれが「解除」によって以前の状態に戻るそちらの方がむしろ問題ではないか?なんとなくすべての文化的尺度で世界上位にいると錯覚していた日本人が実はオンラインという視点では「先進国中ではずっと下だ」という事実を「見なかったことに」してしまうことそれらが心配だ(感染症対策重傷者の医療体制はまた別の次元の問題として)「オンライン」に関してはもうオールド・エコノミストたちと同じ地面にいつまでも立つ意味はないのではないかと考えさせてくれた私の「オンライン体験」です