संस्कृति और "बंका"

今年の「描き初め」 これは文化ですね

暮れに今活躍中?のイラストレーター150人を紹介した本を買ってみたどの人も人気イラストレーターらしいのだが半分くらいはどれも同じに見えてしまう名前は一人も知らなかったそれだけでも自分がいかに「時代」の先端部から遠いかを感じる時代遅れなのは痛いほど分かっているが“何週遅れているか” くらいは知りたいかなーと思ったんだ

लेकिन、そんなことは問題じゃなかったそもそも同じレース同じ時代にいなかったんだ描くテクニックだけなら周回遅れでもなんとか取り戻せるものだがついていけないのは「それが面白い」と感じるセンス描く人(イラストレーター)と見る人がそれを共有しているセンス何が面白いのか分からないんだよ単なるテクニックじゃ越えられない一種の「カルチャーショック」それを若い人は「ブンカだよ」と言う

मैं、本当はイラストレーターになりたかったんだなと今は思う子どもの頃から絵を描くのは好きだったけれどそれは「写生」でもなくましてや「芸術」などではなかった。लेकिन、その当時ド田舎(“僻地” という語はすでに死語化だが)の小学生には「イラストレーター」なんて言葉自体が存在していなかった
 絵の好きな子は「家事の手伝いをしない怠け者」でしかなかった。。わたしは自分でも知らずに「長編ストーリー漫画」を描いて誰にでも見せる代わりにその分の仕事を人にやってもらいゲームを作ってはそれに合う絵を描いて友達に配っていた大人に混じって田舎芝居の背景も描き村祭りの灯籠絵も描き神社に奉納する絵馬や祖父の年賀状の絵を毎年暮れに1000枚も描いていたそれは絵画作品ではなくイラストだったんだなと今になって解る

マンガもイラストも「ブンカ」それをいわゆるオトナが「文化」と読みかえている時点で“周回遅れ”SNSもYouTubeも「ブンカ」であっていわゆる「文化」とリバーシブルになっているようなものそれがあると知っていることそれを享受利用していることの「一つ上にある」ブンカ「スマホでメールが送れる」は文化であっても「スマホのブンカ」ではないそのメールに漂う「呼吸」それがブンカなんですよ、निश्चित रूप से。

もう言葉もない

「ポインセチアのスケッチ」

年末子どもの頃は楽しかった冬休みから正月にかけての期間が年を取るごとに辛くなってきた寒さなど関東平野部では大したことはないがそんな体力・生理的な面だけでなく精神面社会的なことなどひっくるめて楽しいことがなくなってきたと感じている

それが老化と言われてもあえて反論する気さえ起きないがニュースひとつ取り上げてみても大谷選手の活躍と新しい契約インバウンド景気などの明るい面よりウクライナイスラエル自民党のキックバックなどの方がずっと心にのしかかる

イスラエルのガザ攻撃第二次大戦でのユダヤ人への共感同情そこからの教訓を当のユダヤ人自身がすっかり踏みにじってしまったナチスがやったことをそのまま裏返しにしているだけではないかそれを人権と民主主義の擁護を標榜するアメリカが国際世論を無視しての絶対的支持だロシアにダブルスタンダードと嘲られるのも当然信義は地に落ちた唯一の核被爆国を世界に訴えながら核廃絶への行動に一切加わろうとしない日本「人類の知恵」などお笑い種だ

いま旬の話題パーティ券のキックバックにせよ官房長官が辞任しようと大臣が何人辞めようと次の選挙で何の疑問もなく投票する人々によって「みそぎを済ませた」とうそぶきつつまた偉そうに大臣に返り咲いてくるのだ日本国民の脳みそは発酵し過ぎてしまったに違いないそんなことばかりではない・・と思いたくてもさらに悪いことしか思いつかなくなったもう言葉がない
 ほんのひとときの絵を描く時間大切なものはすべて小さく掌の中にしかない

見てくれ

「手の習作2」水彩 もう少しきれいな手にしたかったかな

「見てくれの良さ」の「見てくれ」見てくださいという意味ではありません念のため。लेकिन हाँ、もとの意味は同じことだろうと想像はつく要は「うわべ」ってことですよね

目を惹くものには何かしら新しい何かがあるそれ自体が新しいものでなくても演出が新しいとか久しぶりで新鮮に感じるとか何かがあるそれを見る側が発見するのではなく「ホラ新しいだろ?」とばかりにいささか押しつけがましいのが「見てくれ」の正体なんだろうと思う

ネット上の情報つまりビジネス情報は99.9%「見てくれ」であると思っている情報はネット上にすべてがあるわけではないのにいつのまにか情報=ネット上という錯覚が起きるほどに逆に言えばスマホ上にないものは情報と認知されないようにさえなっているように見える。इसीलिए、詳しくは分からないが何かを検索するというときほとんどの人はまずスマホでインターネットを検索するに違いないとなれば配信する側(多くはビジネス目的)はまずその小さな画面の中で目立たなくてはいけない「見てくれ」が悪ければその時点で負けなのだから

見てくれだけでない誰かにとって本当に中身のある情報は発信側も受信側もそれを吟味する時間と知識とその他もろもろの努力が要る。दूसरे शब्दों में、दूसरे शब्दों में、そういうわけで本当に自分が欲しい情報は結局自分の五感で拾い出すしかないのだろう昔は自然に手に入った情報が皮肉なことにこの情報の渦の中で自ら頑張らないと手に入らないということを時々実感するそしてそれは生成AIの登場でますます困難になっていくに違いない人は様々な意味ですでにコンピューターの僕(しもべ)である生成AIがそれを絶対的なものにしてしまう未来しか今のところ想像できずにいる