制作中の作品。「男」の形の一つとして、キリスト降架というモチーフを使ってみています。モチーフ自体には、大した意味は持たせていません。
これが、どう変わって行くか、記録してみようかなと思っています。

一般的に、人より「早い」ことは能力の高さを示す、有力な一指標であると考えられている。覚えるのが早い、仕事が早いなどは給料とか成績とかに直結していることもあるだろう。最近では帰宅が早いのも美点の一つになっていると聞く。
私はといえば、覚えるのが「かなり遅く」なり、仕事は「うんと」遅くなり、走ることは「できなくなった」。「帰宅」だけは「非常に早く」なった。これは自分的には嬉しくない美点である。
「一般的に」言えば私はかなりダメ人間になってきていることになる。लेकिन、嬉しいことに、一方で「遅い」生き方を提唱する人々も増えている。無理やり短くまとめると、「遅い」生き方の方が環境に優しい、というのである。車よりは自転車を、है。
私の場合、環境に優しい生き方をことさら提唱しているのではなく、単純に早く出来ないだけ。लेकिन、「遅い」ことが私の新しい生き方になってきたのだと考えれば、案外軌道は合いそうで、はた目ほどダメ度を気にする必要も無さそうなのである。
先輩が、ある展覧会で受賞したみたいです。すっごーい!なんて思って、クラスのお友達数人と見に行った。
何、これ?…すっごーい下手くそな作品ばかりの中、先輩の絵の横になんとか賞と書かれた金色の札が下がっていた。喜んでいいの?、賞など蹴っ飛ばせばいいのにと、思うくらいに、まわりの絵がひどかった。あの中で賞をもらって嬉しいかなー、なんて思ったが、会場で会った先輩の顔が光り輝いていたから、全員で「おっめでとー!」としか言えなかった。
次のクラスの時、あらためておめでとうをいう前に先輩が唇の前に指を立てた。だから私達も何も言わなかった。लेकिन、そのことが私には先輩の受賞そのものより嬉しかった。
क्योंकि、あの中で賞を貰って舞い上がってたりしたら、ちょっとがっかりだったもの。さすが先輩。私、すっかり見直しちゃった。
लेकिन、先輩の絵のどこがいいのか、わたし本当は良くわかんないんです。