この荒っぽさをどこまで残し、どこまでフラットな色面にするかがミソ。頭の中のイメージはできているが、どうやってそこに到達するかはやってみないとわからない。Vahetult enne väravat、終点が横にそれることもある。praeguseks、今のところは植物が雨を受けて芽や根を伸ばしているのと似た状態にある。今が制作プロセスの中で一番危なっかしく、楽しい時なのかもしれない。
teiselt poolt、本人または家族に、あちこち不調ができることも年々多くなってくる。年相応、どうしても避けられないことではあるけれど、無理しないでと思うようなときもある。そんななかでも、みんなが絵を描く気力を保っていることは誇らしい。彼、彼女らの絵には日常と非日常が、渾然一体となってきているのを感じる。描くことが特別なことではなく(それなりのプレッシャーはあるにせよ)、日常の一部になりつつあるのを感じる。 「芸術」がなんだか特別な人々だけの、手の届かぬ世界のことのように思っている人がいまだ大多数に違いないが、そのような行き方では芸術は死んでしまう。絵画に限らず、芸術家は常に人々が芸術を「日常化してくれること」を切望してきた。表現としては同時代の人々の理解をこえるものであっても、“それでも理解して欲しい”と訴え続けてきたのが、美術史のもう一つの見方だと考えている。芸術はモノにではなく、人間の中に在る。確かに作品は物理的なモノだけれど、それを作る人の、時代と環境を抜きにしては語れない。環境とはそれを支える人のこと。