黄昏(たそがれ)

夕陽(制作中)

銀座でのグループ展も明日で終わる。10回目の節目の年わたしの中での絵画デビューを、20歳での上野の公募展入選ということにすればちょうど今年で50年になる公募展も25年を経験し今年がいくつもの節目と重なっているのもなんとなく因縁めく

夕陽のあたるアパート群この中にもいろいろな趣味嗜好の人々が住み様々な生活模様があるはずだ陽は等しくなど当たらない息苦しい西日に脚を投げ出す人もいれば陰の中で少し厚着をしながらページを繰る人もいるだろう平衡状態ではモノは動かない不均衡だからこそ世の中は回っているのかもしれない象徴的な風景

空白

「旅がらすの男」F4  テンペラ 2011

昨日(10/23)から「風土に生きる・X展」が銀座・ギャルリー志門で始まりました(~28(土)まで)昨日は初日無事に始まりホッとしています

わたし個人は今回でこの展覧会を離れますたぶん都内で発表するのも今回が最後になるでしょう発表する機会はほとんどなくなりますがどんなかたちであれ絵は死ぬまで描いていくと思います

ざくろと折り紙のスケッチ

「ざくろと折り紙」2023 水彩(コットン紙)

ふたたびざくろを頂いたので教室の参考作品にしようと数点描いてみた背景の「半袖シャツ型の折り紙」も俳句会の際にAさんから頂いたもの以前に尾形光琳の杜若(かきつばた)のプリントを洒落た蓋つきのキャンディボックスに折ってくださったのもこのブログに載せたので二回目の折り紙登場ということになります(2022/11/19「西洋梨と杜若(かきつばた)」)

鉛筆スケッチから完成まで1時間半ほどこのステップを細かく作業分けすることができれば誰でもこのくらいは描けるようにすることができる(はず)そのステップ分けの分析と作業手順の明確化一般化がわたしの仕事だ

水彩スケッチができるようになればいいなあと思っている人はこの程度描ければ十分だと思う(失礼な言い方でごめんなさい)スケッチに必要なほぼすべてのテクニックが使われているので技術的には必要十分という意味です。akkurat、絵というのはきれいに描ければよいという次元にとどまらないもっと深いものがあります
 それはスケッチ程度じゃ解らないという意味ではありません描くこと見ることを通じてそこから何を感じとるかが大切だと思いますどんな絵でもよくよく見れば画面の表面を透かしてその人の感覚や考え方身体状態すこし時間をおけば時代の雰囲気さえうっすらと浮かんでくるものですそういう眼を「自分自身で育てていく」そしてそこからもう一つ深い世界への扉を開くということですたぶんそこが「芸術」への「連絡通路」ですそこに入っていかなくても自分の目で見えるだけで素晴らしいと思います

 おそらく誰でもスケッチを続けていると(ストイックに必死にならなくても大丈夫だよ)ある日不意に「スケッチとはこういうものなのかも」という覚醒の瞬間が訪れます何度もそうやって少しずつ深いものに到達するのです見た目には別段上手になっているようには見えなくても解る人には解るようになっていくそうなって欲しいですね