"गिरे हुए पत्ते" और "मृत पत्ते"

落ち葉夕方には虫の声も

連日暑い今日も西日本では38°超えた地点がいくつかあり関東でも35°以上を記録明日から9月だが近年ではこの時期のこの暑さはもう珍しくなくなった感じがするそれでも1週間ほど前からこおろぎの声を聞くようになった秋だな、मुझे लगता है。

庭の木々も草もカラカラに乾いている午後から久しぶりの雷雨と言うから期待して空を見たが雰囲気だけ(夜になってから、 10分ほどお湿り程度に降った)それでも少し涼しい風が吹いてきたから日暮れに近所を自転車でちょっと散歩した

公園の通りはもう枯れた葉が落ちて溜まっている日照りのせいかもしれないが目にはいかにも「すでに秋」の風情ふと「落ち葉」と「枯れ葉」の違いを考えてみた

枝についたまま枯れる葉もある病葉(わくらば)朽葉(くちば)がそれにあたる。इसके विपरीत、風雨に叩かれるなどして緑のまま落ちる葉もあるが落葉生の木々では植物自身の生理として自ら葉を落とす俳句では落ち葉も枯れ葉もどちらも冬の季語らしいが落ち葉の方がよく使われるようだ柿の葉が落ちれば「柿落ち葉」椎の葉が落ちれば「椎落ち葉」柿枯れ葉とか椎枯れ葉とは言わない後者ではなんだか木自体が病気になったように感じられるから不思議

人間のやることが鬱陶しい?

オジギソウ

すっかりうなだれて死にかけた植物だ…と思うのは早計とても健康的に夕方5時半もう眠っているのです可愛いですね

名前はオジギソウ朝は早くからまずシャキンと腰を伸ばす(今はガックリと腰から折れていますが)それから手のひらを太陽に向け手の指を一本ずつ開くように葉のギザギザの指のような切れ込みをいっぱいに開くんですその手のひらを指ですーっと触るとくすぐったそうに葉をシュルシュルシュルと閉じる外出から帰ったとき玄関前にポカーンと葉を開いているのを見るとちょっといたずらしたくなるすーっと触るとシュルシュルシュルと閉じるのがとても可愛い最近とっておきの私の「癒し」(秘密)

シュルシュル…の反応が早いほど健康と自分勝手に考えている実家には高さ3mほどの合歓の木(ネムノキ)があるネムノキもオジギソウと似た反応をすることで知られているが反応はどうだったか覚えていない葉っぱの感じもよく似ている

アトリエの窓辺にもたくさんの小さな植物たちが生きている一昨日はサボテンの大きな白い花も咲いた別のサボテンの小さな花も咲きかけているしふちょっちょの木の大きい真っ赤な花も咲いている癒してくれるものはたくさんあるのになぜか癒されない気持ちも毎日膨らんでくるのはどうしてなんだろう

Silent Spring

春の道端は花がいっぱい
誰も見てなくても藤は咲く

もう1ヶ月半電車に乗っていない美術館も図書館も閉まっているし行くところがないからでもあるが忙しいからでもある大学もオンラインの授業をすることになりそのための動画などの編集で毎日10時間以上パソコンの前から離れることができない

「今年は動画編集できるようになりたいなー」なんて考えていたらいきなりやらざるを得なくなった「渡りに舟」どころか岸辺からいきなり舟に引きずり込まれいきなり一人で舵を取りながら漕げといわれた感じしかも目の前に急流があるからその前に岸につけろというそんな無茶なと思ったがすでに水の上だ見よう見まねでやるしかないと思ってはみたもののやはり苦手は苦手毎日ちょっとしたことでニッチもさっちも行かなくなるでもなぜか一晩寝るとあら不思議昨日のアレはなんだったのか。लेकिन、急流はどんどん迫る早くなんとかせねばと考えだすと眠れない

कभी -कभी इस तरह、田舎はいい自転車で10分も行くともう畑や田んぼだらけすれ違う人もいないからマスクも顎の下にずらしたまま道端には春の野草花が満開だ「イモカタバミ」も初めて知った見れば確かにカタバミの葉のかたちマメ科の花は「ヤハズノエンドウ」別名カラスのエンドウだコオドリコソウも覚えたタンポポはもちろん菖蒲も藤も満開。लेकिन、それを愛でる人がいないふとレイチェル・カーソンの「サイレント・スプリング(沈黙の春)」を思い出した

彼女はDDTの薬害による自然界の物言わぬ死鳥も歌わない昆虫もいない世界を「沈黙」というキーワードで環境破壊の恐ろしさを告発したコロナで恐れ慄いている今は鳥もいる至るところで蝶も見る川では鯉が跳ねているのも見た。लेकिन、人がいない別な意味での「沈黙の春」だと思ったコロナは仕方ない。लेकिन、この異常な騒ぎようはなんなのかむしろ人災を拡大しているのではないかおそらく日本ではコロナウィルスによる感染死より経済的に追い詰められた自殺者の方が多くなるだろうと危惧している4月中の収入社会人になって以来初めてゼロになりました