桜を描くのは難しい

       「桜のある風景」 水彩

桜に対する日本人の “熱愛” は “超” 特別だその一種の「異常性」が普通の日本人(わたしも含め)には正常と感じられているという異常性の出発点は「小学校の桜」にあるのではないかと多くの人が述べている通りだと思うわたしの知る限りでも校庭に桜が無いという学校を見たことがない現実空間には存在しない「デジタル小学校」のようなものがあったとしてもきっと画面のどこかに桜が入っているに違いないとさえ思う
 さらに花のタイミング幼少期の大きなイベントは多く学校に関わることが多いその中でも入学卒業は特別な意味を子どもにも感じさせるその背景にいつも桜がある東日本大震災は3月だった震災直後の満開の桜はその清々しさゆえに喜びよりもむしろたくさんの日本人の涙を誘ったものだった桜は単に花であるだけでなく深い心情を伴った象徴でもあるそのことがモノとして桜を描くことをさらに難しくする

Në atë kuptim、ほぼ100%に近い人が一度は桜を描いた(描かされた)記憶がありそうだそしてその90%以上の人が(ピンクをただ塗りたくる以外に)どう描いたらいいか悩んだ経験を持っているに違いないわたしも小学生の頃に感じたそのコンプレックスがずっと尾を引いて今も解消できずにいるそのうえ風景としてはあまりにも普通過ぎて新たな視点を見出しにくい桜への熱愛に比して公募展などでは桜の絵がむしろ少なめなのはきっとそういう理由だろうと思う

川のある風景

車窓から
         「元荒川風景」   水彩

上の写真は東京へ絵を運ぶ時にいつも通る国道4号線にかかる橋からの車窓風景絵になる場所だなと直感するが車を降りて取材したことはないあらためて取材に出かけたらきっと収穫があると思いつつその時が過ぎると次の機会まで思い出すこともなかった

取り立てて「ここが良い!」と強調するようなところがないのがいいのかもしれない「穏やかな日常」の表現に適当な場所ということかな世界は至るところ戦火がひろがっているし日本の中も災害やSNSなどを使った詐欺事件などで気持ちが落ち着かない「絵になる場所」と思った時から10年は経ったかもしれない今になってこういう風景を描くのもあながち年のせいとばかりも言えない気がする

pranverë

hotokenoza
オオイヌノフグリ
羽化-ペン

今日は23度まで気温が上がった春というより初夏に近いような日差しで持って行った帽子サングラスが役に立ったTシャツでウォーキングジーンズが汗で脚にまとわりつくような感じがした。3日連続のウォーキング小さな土手を挟んだ川の向こうでは少年野球の練習試合?が2組昨日も2組やっていた駐車場は親などの関係者の車で一杯近くの小学校のグラウンドでも別の子どもたちが練習をやるなど絶好の野球日和だったようだ

市営の釣り堀では小学生がデビューしたらしくまわりに常連の爺さん婆さんが集まった真ん中でヘラブナの竿を下げている珍しいこと長閑なものだ足元にはホトケノザがだいぶ前から(ホトケノザを真近にみると結構変わったかたちの花ですまたその名の由来も納得できますよ)咲いている最近は青く可憐なオオイヌノフグリハコベが増えてきたベニシジミはもうとっくに見たが今日はモンシロチョウも飛んでいた春だなあ桜はまだかいな