Ichida hurma

"Ichida hurma" akvarell

kelleltki saadud、Sõin esimest korda üle pika aja kuivatatud hurmaa.。Kui käite sageli supermarketites ostmas, võite seda märgata.、Kui ma olen kogu aeg kodus、Juba idee kuivatatud hurmadest vajus mu mällu.、See ei tõuse pinnale, kui just pole mingit päästikut.。

Ichida hurma on saanud sellise nime, kuna neid toodeti aktiivselt endises Ichida külas (praegune Takamori linn) Nagano prefektuuris.、See on selgituses。Olen Takamori linnas mitu korda käinud.、Kuulsin, et selle piirkonna kuivatatud hurmaad on kuulsad.、Ma ei mäleta, et oleksin seal midagi näinud ega söönud.。spindlikujuline、Väike, kuid nätske hurma tüüp。Ootuspäraselt on see ületanud ajaloo.、tihke ja nätske、Sügava maitsega maitsev kuivatatud hurma.。Näeb ka väga ilus välja。

Kui ma proovin seda joonistada、Selle õrn olemus muudab selle ootuspäraselt keeruliseks.。Tüvi lõigatakse ka väikesteks tükkideks, nii et、Mõned punktid paistavad silma、Sa ei saa petta。Mulle esitati väljakutse "võimete võistlusele"、Sellise sketšiga、See on täielik lüüasaamine。

明けましておめでとうございます

散歩道から見る富士山右には赤城日光振り向けば筑波山がどっかり見える
元旦。微妙な雲の出具合

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします

hiljuti、気が向けばぶらぶらと近くの田んぼ道などをひと回りしてくることがある元日の朝はどうだろうと行ってみたらぽつぽつとウォーキングの人たちがいる顔も名前も知らないが何人かは身体が傾いていたり歩き方に特徴があったりであの人だなと分かることもあるひとりそばに軽トラを停めて農作業をしている人もいた世間の慣習に流されないマイペースの人なんだなきっと

散歩の時間は「考える時間」考えが堂々巡りすることが多いけれど堂々巡りしているうちにポロっと木の実が落ちるように上からアイデアが降ってくることがある

今はそんなのを悠長に待っている時代じゃないAIに「アイデアを呉れ」と要求する時代だ、See on mis。考えるより先に結果を求めるということかAIの進化はたぶんもう誰にも止められない人間はどんどん不要な存在になっていきそうだ明るいのか暗いのか微妙な雲が前方にかかっている

「感動する」ことに感動

               「目の前に転がっている奴さ」   ペン

「感動する」ってよく言われるしよく聞く言葉でもあるわたし自身はつとめて「感動」という言葉を “使わないように”使わないようにと意識してきた感動という言葉はわたしにとって「命」という単語に近い重みを持っているのでそうそう簡単には使えなかったのだ

aga、人間なら誰しも感情を持っている以上「感動しない」なんて有り得ない(でしょ?)そういうこともあって「感動」ってことをあらためて考えた

個人的な感動体験だけで論評するのも問題だとは思うけれど他人の「感動の中身」についてどうこう言えるほどわたし自身に心理学的医学的知見がないので自分自身をモルモットに話を進めさせていただくことにする
 よくよく自分の「感動体験」を思い出してみるとその直前では「心の状態がフリー」だったような気がするんです「感動」にはある種の衝撃を受け入れる「心の余裕」隙間があったような気がするんですよね

言いたいことはすでにお察しのとおり「心の余裕」ってことですがそれは「(生活の)余裕があれば感動できる」って意味じゃないことなど言わずもがなこの(難解な?)ブログを見てくれている人にそんな馬鹿などいるはずはないもしも「体力的に限界ギリギリだったらどうなんだろう?」とは思っていたからそういう体験記(談)にはなるべく接しようと心がけてきた
 人間って凄いです命が失われるその瞬間まで「感動」を述べた人々の記録は山ほどあるんですよね人間の「感動するさま」にあらためて感動する思いです