無理せず止めず

人物習作

8月も今日で最後だが暑い夏は続く(もうとっくに立秋を過ぎているのだが)歳時記などの「時候」とは別に気象庁などでは6月、7、8月は「夏」なのだそう埼玉県鳩山町など毎日と言っていいほど全国の最高気温の報道に名前があがる。40℃近い気温と言うのは別次元の暑さだとお天気お姉さんが体感してラジオでそう言っていた大阪ではついに「最低気温」が30℃だともこれはもう一種の災害と呼べるレベル

今日も名古屋から東海にかけて40℃近い気温になるところがあると予想されている「炎帝」は明日からも手を緩めない。9月いっぱいも頑張るらしいもうそろそろ引っ込んでくれという感じで暑さ疲れを感じている人も少なくないと思う街頭インタビューなどではさすがに若い人は「暑いけど出かけないと人に会えないですから」などと涼し気な声も聴く羨ましいバイタリティー

暑いと言っても病気になったわけではないだから涼しいところでやれることをやればいいだけなのだが頭でわかっていても外を見るだけでやる気が萎えてしまいがちなのが人情無理せずでもちょっとだけ何かを進めていきましょう

Indeks・Definitsioon

Tahaks teha pilveteemalise “Updrafti” prototüübi.、Seda ei juhtu...

Kuumad päevad jätkuvad。See on ka "ohtlik kuumus"。muide、Millal muutub see "ohtlikuks soojuseks"? Küsisin AI-lt.。
AI ütleb [ainuüksi temperatuurist ei piisa, et teada saada, kas see on ohtlikult kuum]、Samuti lisatud niiskust、Määratakse üldise "soojusindeksiga" (WBGT)。„Ohtlik kuumus” viitab WBGT-le 31 °C või kõrgemal.。Muide, kui WBGT on 28 ℃ või kõrgem, on vajalik range ettevaatus.。25"Ettevaatust" üle ℃。25Intensiivne treening isegi siis, kui see on mõõdukast väiksem、Rasket tööd tehes jne tuleb kuumarabanduse suhtes ettevaatlik olla.] See on õige.。

Esiteks, mis on "WBGT"? Sellest punktist alates。See on Wet Bulb Globe Temperature initsiaalid.。Otsetõlge? Seejärel "märg pirn"、must pall、kuiva pirni temperatuur。Mis on kuiv pirn?、Üldise termomeetri kohta。Märg pirn on selline, mille ümber on mässitud niiske lapp.、Seade, mis mõõdab aurustumissoojuse tõttu langevat temperatuuri, kui vesi riidest aurustub.。Arvutage niiskuse erinevuse põhjal。Must pall on、Termomeeter, mis asetatakse mittepeegeldava värviga kaetud vaskkera sisse.、Mõõdab maapinnast kiirgavat soojust jms。

lühidalt、Kombineerides need kolm väärtust, saame、See tähendab, et saab arvutada midagi, mida nimetatakse "soojusindeksiks".。ma näen.、See on seletus, millega mõned inimesed nõustuvad ja mõned mitte.、See ei klõpsanud koos minuga。Sama kehtib ka "soojusindeksi" efektiivsuse kohta (ehkki ma väldin detailidesse laskumist).、31 ℃ WBGT、Seos normaaltemperatuuriga on suletud ühe (tõenäosusliku) sõnaga: "soojusindeks"。Ma ei suuda seda uskuda.。
Kunagi ammu、Seal oli sõna, mis kõlas nagu meteoroloogiline termin, "ebamugavustunde indeks".。temperatuuri、Isegi kui õhuniiskus on kõrge、Kui on sobiv tuul、暑さ感覚が若干「癒される」という感覚を加味した「指数」だったと記憶していますが最近はもう聞くこともありません嫌味で言うのではありませんが人々の「不快感の内容」が複雑化し過ぎたせいではないかとも感じます

「指数」というのは研究者にとってはとても便利かつ(経済的?)価値のあるな語で(行政にとってはさらに)「これとこれとあれを按配して○○指数と定義します」といえばとりあえず認められるそうしないとその先へ論が進めないから当然ですねそのあと定義したデータと実際のデータとの整合性を調べていく過程で「なるほどね」感が得られれば定着していきます。aga、よく考えてくださいね「これとこれとあれを按配して○○指数と定義します」なんて誰でも勝手にカスタマイズできてしまうんですよねー「AIで示される定義ってそんなもんなんだー」って思っておくくらいがちょうど良さそうですね

雲を描きたくなってきた

ここ数回怠けて絵を載せず雲の写真ばかりでごまかしているように見えるが(そして実際その通りなのだが)実際に見るとカメラを向けずにはいられないわざわざ写真を撮りに出かけるわけじゃなくウォーキングの帰りに遭遇してしまうだけ汗びっしょりになっているのだがその瞬間は汗も止まってしまう感じがする

一番下の写真などただの日没などではなくミサイルでもぶつかった瞬間にさえ見えそうだ何が理由でこんなに雲夕焼けが凄く感じるようになったのか少し考えてみた

①空気が澄んできたー環境対策が進み公害問題が騒がれていた頃に比べ空気がきれいになってきたことは確か大気汚染が進行中のインド中国韓国などに比べると東京の空気は格段に「澄んでいる」といわれるらしい②わたしの眼が変化した―加齢による視力低下がなぜか夕焼けがきれいに感じるような生理的条件を作った―それもあり得る。aga、写真でも凄くないですか?③若い頃は夕焼けを見たり雲を見たりしている時間が無かったから新鮮に感じる―要するに年をとって暇になったからじっくり見るから?それもあり得るむかし10年ほど続けた雲のシリーズを再び描いてみようかなどとも考えている

ウォーキングしていると気になることがある落ち葉が多いこと枯葉ではなくまだ青いあるいは黄色がかった葉がたくさん落ちている今年の渇水のせいだろうか(関東の一部だけかも)ともかく植物も葉を落として身を護らざるを得ないのだろう死んだ蝉も見るようになってきた。teisel päeval、クマゼミが大勢かと書いたが落ちている蝉はすべてアブラゼミ偶然なのか二種の蝉の活動時期が若干ずれているかどうかわからないがミンミンゼミも含め他の蝉の死骸が目につかないのも不思議な感じがする