
公園で遊ぶ子どもが、そろそろお母さんと一緒に一人ずつ帰っていく夕方、そんな図に見える。men、それはお母さんではなく、それぞれのベビーシッターたち。
ここには描かないが、真ん中に“見張り役” の人がいる。東京のド真ん中での、とある日常。一枚のエスキースを描いてみる。

公園で遊ぶ子どもが、そろそろお母さんと一緒に一人ずつ帰っていく夕方、そんな図に見える。men、それはお母さんではなく、それぞれのベビーシッターたち。
ここには描かないが、真ん中に“見張り役” の人がいる。東京のド真ん中での、とある日常。一枚のエスキースを描いてみる。

教室の方の一人がここ数年、埴輪をテーマに制作している。彼の故郷には埴輪と深い関係のある遺跡が多数あり、次第にそれらを描きたくなってきたらしい。
小学生の頃、わたしの実家の畑からもたくさん縄文土器が出てきて、それを母が「絵に描いてみたら?」とか、わたしに持ってきてくれたことを思いだす。そんなこともあって、彼のモチーフを使って何点か描いてみた。Deretter、「あれっ?これ、もしかしたら岡本太郎の「太陽の塔」のモチーフ(出発点)なんじゃない?」と思ってしまった。
ご存知の方は多いと思うけれど、太郎氏は「縄文文化」に対する深い敬意と知識は半端じゃなかを持っていた。日本の縄文文化だけでなく、古代の文化に対する興味、造形の深さは至る所に表現されているが、この通称「縄文のヴィーナス」の造形、手法はまさに太陽の塔の造形に極めて近い。特定のモデルは存在せず、それ自体がひとつの思想である「世界樹」のアイデアを表現したものだと本人は語っているが、発言と造形とは同じものではない。
フランスに暮した青年時代、西欧文化の海の中で、自身のアイデンティティを確認する作業に必死だったはず。「縄文ヴィーナス」は彼の中で次第に大きな存在になっていったのではないか、と想像するのにも違和感はない。
幸運にもわたしは岡本太郎氏と二度お会いし、二度ともほんの短い間だが言葉を交わすことができた。一度目はまったくの偶然。わたしがある外国の画家を、たしか神田にあった国際交流センター(正式名称確認していません)に日本滞在の相談で同行した時、たまたまそこに用事があったらしい太郎氏が突然現れ、話しかけてきたのでした。他に人もいなかったので、比較的ゆっくりお話を伺ったのですが、わたしが舞い上がってしまったのか、どんな話をしたのかは具体的によく覚えていないんですよね。
そのつぎの、日本での個展の時は、図録にサインすることを嫌がっていた太郎氏に、わたしは無理にお願いしサインしてもらいました。その時、太郎氏が(ただのサインを有難がるなんて)「理解できないね」とフランス語でぶつぶつ独り言を言ったのをよく覚えています。

自民党総裁選の議員投票が昨日行われ(なぜか宝くじの抽選会場を思い出したが)、高市早苗氏が新総裁に選出されたのは皆さんご存知のとおり。自民党総裁は、現時点では新首相に選出されることはほぼ間違いなく、高市氏が初の女性宰相になることがほぼ決まった。
「日本をふたたび世界のトップにする」“ジャパン・バック” とかマイクの前で叫んだが、「メイク・ジャパン・グレート・アゲイン」とも言っていたそうだから、トランプに似たような政治姿勢を採るのだろうか。
男系天皇を固定するために皇室典範を変更することを前面に押し出すなど、自民党の中でも右寄りとして知られているが、自分自身が初の女性宰相になろうという立場(当時)で、なぜ女性天皇がいけないのかその理由が理解し難い。実際に歴史上8人(10代)の女性天皇がいて、その功績もある。天皇ではないが、卑弥呼という存在だってある。それらは否定すべきことなのか。海外ならエリザベス女王をはじめ少なからぬ女王もいる。それらは日本の女性にとって誇りにならないのだろうか?
イギリスのサッチャー元首相を手本に挙げた。海外でも女性の首相や大統領ももう珍しくない。日本版「鉄の女」になるより、世界の女性宰相とも交流を深めて戦争を避け、世界に平和をもたらす「花のような女」になってもらいたいと思う。