Yn parhau o ddoe、今日も水彩を描く。どんな絵でも1日1枚描けばなんとなく気持ちが休まる。ここのところパソコンで描く絵は堂々巡りになってきている。映像化を意識した練習なので、つねに写真画像を使うのもちょっとフラストレーションになっている。Ar adegau felly、教室があると、気分転換にもなり、また絵を描きたくなる。
「きれいだなあ」と思う。顔はもちろんだが、若さと希望をもって今まさにこの瞬間を生きていること自体を、きれいだと思う。tynnu llun yw、この「きれいさ」にいつも対面する歓(よろこ)びがある、Mae hynny hefyd yn golygu。誤解のないように早めに言っておくが、この歓びは「若さ」に直接対面することにもあるが、もう少し率直に言えば「今、この瞬間を生きていること」、そしてその「充足感」に触れることにある。 それは若い人に限らないし、人間にも限らない。動物であろうと植物であろうと、この瞬間に生きていることの充足感が生きていることの内実だ(わたし自身の感覚で言えば、それが石ころであろうと「いま在ることの意味」はそれと大きくは変わらない)。a、それが自然に外へ放射するエネルギー(の大きさ)、それに触れるとき、その時間・空間を「きれい」だとわたしは感じる。それが(描く)わたし自身をも変える力になり、それが「描きたいこと」の中身だろうと思う。描くことで、わたし自身も生まれ変わっていく感覚がある。
このスケッチにそれが感じられるだろうか。描いている間は、無心にかたちや明暗、色彩だけを追いかけているつもりだが、五感(無意識)はそれ以外のことも画面に現わそうとしてくれているだろうと、勝手に期待する。y flwyddyn nesaf、あるいは数年後、実際に何をしているかは彼女自身にも今はわからない。就職は「はじめの一歩」に過ぎず、すでに踏み出した。「二歩目」は彼女自身が決める。どうか、すべての人が自分自身のための一歩目、二歩目をしっかり踏み出してほしいと願うばかり。
Roedd bachgen T yn gysglyd, serch hynny、Roedd hefyd yn greulon。Pan oeddwn i'n hongian allan gyda ffrindiau, weithiau roeddwn i'n mynd ychydig yn ddiog ac yn gwichian yn y cefn.、Mae bod ar fy mhen fy hun yn fy ngwneud i'n feiddgar、Roedd yn rhyfeddol o hawdd lladd creaduriaid byw.。 Mae'r rhan fwyaf o'i ysglyfaeth yn anifeiliaid bach、Yr un mwyaf cyffredin oedd brogaod。Pan fydd yr eira'n toddi、Brogaod yn gwichian ym mhobman o unman。Mae'n cael ei saethu gyda bwa cartref。Y saeth yw coesyn glaswellt Pampas、Roedd digon o bethau o gwmpas。Ei dorri'n onglau miniog gyda chyllell、Pan fyddwch chi'n byrdwn i'r tir rhydd, mae mwd yn mynd i mewn i'r ceudod y tu mewn i'r coesyn.、Dim ond y domen sy'n dod yn drwm yn briodol。Ni fydd saethau'n hedfan yn dda oni bai bod y domen yn drwm.。
yn rhyfedd、Y teimlad eich bod chi'n lladd broga、Nid oedd yn sefyll ynddo o gwbl。Yn hytrach, roedd fy ffocws ar danio'r saethau yn gywir.。Mae brogaod yn elyn ofnadwy、Iddo ef, dim ond targed araf oedd y broga。Ac nid ei gêm yn unig ydoedd.。Mae gan fy ffrindiau i gyd eu bwâu eu hunain、Yn yr un modd, defnyddiwch lyffantod fel tabl ymarfer、Roeddent yn cystadlu'n frwd am freichiau eu bwâu.。Bydd yn cynhesu yn y pen draw、Erbyn i'r brogaod gael eu clywed o'r caeau reis、Anghofiwch y bwa hardd a'r broga a gafodd ei saethu、Roeddwn yn obsesiwn â mynd ar ôl pysgod bach。 Dim ond un o'i offer chwarae yw'r pysgod bach.、Iddo ef, nid oedd yn "beth byw" ond yn "beth symudol" o'r enw "pysgodyn."。Beth sydd ychydig yn wahanol i lyffant、Weithiau dwi'n mynd ag ef adref a'i fwyta。Fel arfer, mae'n ymwneud â dal pysgod yn unig、Nid oedd ganddo ddiddordeb。Ar ôl dal、その小魚をどうしたかさえ覚えてはいなかった。ただひたすら捕まえること。よりすばしこく、捕えることが難しければ難しいほど、小さなさかなたちは彼の興味を駆り立てた。捕まえた小魚の、手の中でぴちぴちと激しくくねる、くすぐったい感触は彼を有頂天にさせた。そしてぬめりの中に光る極小の鱗、うっすらと浮かび上がる斑点の美しさを、美しいという言葉さえ思い浮かべずに感じてもいた。
もう少し大きくなってからは、狙う獲物も大きくなった。もうカエルや小魚は卒業していた。素潜りと魚釣りの時期を過ぎ、アケビや山葡萄も終わって冬になると、T たちは野ウサギを狙うようになった。それは肉も毛皮も確かに有用であり、それを目的に彼の友人たちも雪の中を歩きまわっていたが、彼の興味の中心はやはりそれを捕まえるまでであった。獲物の生態を調べ、その能力を上回る方法で捕まえること。それが T の願いであり、理想だった。ほかの少年たちがウサギ狩りにも飽きて山へ行かなくなるころ、とうとう狐が彼の対象になった。
狐は、彼の相手にふさわしい警戒心と周到さ、そして知力とパワーを持っていた。すぐに彼は狐の能力に驚嘆し、一種の憧れにも近い感情を持ちはじめた。この美しくも優れた獲物を自分だけの力で捕らえたい、その一方でどうか自分が仕掛けた罠を凌ぎ、生き延びてほしい。そんな矛盾した感情を狐に対して持つようになっていった。 「罠にかかったらどうしようか。」今度は彼も、捉えたあとのことを真剣に考えないわけにはいかなかった。いま彼の狙っているのは、足跡の大きさから考えて、ある程度の大物だと予想していた。おそらく中型の犬くらいはあるだろう。祖父の部屋の長押にぶら下がっていた、自分の身長ほどもある大きな狐の襟巻を彼は思い浮かべた。―あれより大きいかも―そいつが罠にかかったときの、死に物狂いの抵抗を T は想像した。「逃がしてやるのが一番危険で難しい。」彼は何度も頭の中で、うまく逃がしてやる方法をシミュレーションしてみたが、うまい方法が思いつかなかった。鋭い牙で噛まれ、自分も大怪我をする可能性の方が大きい。―手早く殺すしかないが、どうやって? 獲物の逃げ場をせばめ、足場の悪いところに追い込んでいる以上、自分の足場の幅もぎりぎり、斜めでしかも凍っている。足が滑れば足元の深い淵の中へ自分が落ちてしまう。棍棒で殴り殺すにしても、すぐ頭上には細い枝が網の目のように絡み合っている。―棍棒を振り上げるスペースは無い―彼はその場面を脳の奥の方でゆっくり、精細なビデオで検証するように繰り返していた。
少年 T のお話はここまで。わたしの夢の中で T は今でも時々獲物を追っているが、もう捕まえる気持ちはないらしい。けれど彼らを追い詰めるまでの緊張感と、それを逃れていく動物たちの本当のカッコよさに、いつまでも夢から覚めたくない思いがある―夢の覚め際にかならず T はそう言うのである。