
AIが登場して、世界のビジネス環境はここ数年でさらに大きく変わると言われている。わたしは “世間” の端っこで、中心からかなり遠いところで生きているが、それでもその風を感じるくらいだから、社会のど真ん中で生活している多くの人々には(なかなか直接目に見えるかたちにはならなくても)相当大きな影響があるのは間違いない。
極端なことをいうと、「生きているのが嫌になる」という人が世界人口の三分の一とか、半分くらいになる、そんな世界になるような気がしている。
natuurlik、企業やある人々(ビジネスと言ったけれど、一般の会社員と言うような意味ではなく、ほんの一握りの経営者かそれに近い人々、そのような人々)にとってはなくてはならないツールだろうし、便利、快適、omgewing、あらゆる意味で「神器」となるだろう。
けれどほとんどの人にとっては、「便利になったなあ」とぬくぬくしているうちに、真綿で首を締められるように、ゆっくり?「不要なヒト」に分別されていく、そんな世界がとうとう来てしまったのではないか。個人だけでなく、企業、業種、国単位でも、そのような “淘汰” はもっとストレートに眼に見えてくるはずだ。どんなに「必死に」頑張っても、そんなことに何の価値もない厳しい世界。それが80億のヒトを抱える世界。
パンドラの箱は開いてしまった、と前にもAIのことを書いたけれど、その状況はさらに加速していると感じる。幸も不幸も含めて、AI出現以前に戻ることはもうない。
日本人の平均寿命が80歳を超えたのはだいぶ前だ。だんだんそんな歳に近づき、そんな世界を目の当たりにする前にどうやら寿命を終えられそうなのは、幸せと思うべきなのかもしれない。まだ年賀状が机の上に乗っているうちなのに、そんなことを考えてしまう。