「欠けたもの」のある美しさ

よく聞くことだが(現場での)スケッチが一番良く習作を重ねるごとに悪くなって最後の完成作が一番面白くないという話半分は事実だろう時間はスケッチが一番短く完成作が一番長くかかっているのが普通時間をかければいいものが出来るとは限らない

hoekom、限られた時間空間の中で描かれたスケッチがよく構想も練られ必要十分な画材とたっぷりの時間をかけて描かれた作品より魅力があったりするのだろうか

わたしの感覚ではそれは現場での直感的な反応も含め「未完成の力」ではないか、ek dink。「未完成の音楽」というのが魅力的かどうかは分からないが絵や彫刻ならあり得る半分しか描かれていないあるいは部分的にしか塗られていない絵がえもいわれぬ光を放っているのをきっと多くの人も経験しているに違いない彫刻もそうミケランジェロの荒削りの「奴隷像」円空仏未完成とはちょっと違うが「両腕の欠けた」ミロのビーナス「欠けたものがある」こと自体がその源泉であるあるいはその「欠け方」が美しいのだろうか

反対に「行き過ぎた魅力」もあるたとえば「バロック」たとえば(盛りを過ぎた)「剥落の美」「源氏物語」その現存の絵巻の絵などバロックでは「節度」が欠け(現存)源氏物語絵巻では「力・Power」が欠けているたしか日本民芸運動の主唱者であった柳宗悦(やなぎむねよし)が「茶碗の欠けた一片が整った完成作より美しいことがある」と言っていたような気がする