
よく恥ずかしげもなく、こんな下手くそな絵を見せるよなー、とご立腹の方はしばしご遠慮ください。自分でもそう思っておりますから、見るだけ時間の無駄というものです。
下手くそさに弁解は致しませんが、そんなことより、顔の中に緑を入れるための、法則のようなものが有るのか無いのか、有るとすればそれはどういうものか、がどうしても気になっている。Of eerder、それがゲットできれば、少なくともわたし個人の絵作りの土台が、数ミリだけど、造形的にアップするだろうと直感的に感じているから。
描き方は、まるで昔の高校の美術の課題レベルだと思うけれど、高校卒業後50年以上も経った今では、そこからリスタートしてもおかしくない程の年代差があるだけ、むしろ興味本位になっている。何十年もかけて磨き上げた職人芸が、AIなどという“新参者”に、一瞬にして仕事を奪われる時代。再スタート、などとあえて云うほどガキ臭くもないが、そんな時代感覚を離れて、きっちり理解できないままスルーしてしまったことを、あらためて「きっちり」にすることが、なぜか今さらにして楽しくもある。
すでに周回遅れの身ならば、それが2周だろうと3周になろうと、どうせ大した違いはない。どうせなら、周回遅れを蔑(さげす)む人々がどんな顔をしているか、ゆっくり眺めながら周回するのも一興ではないか。どうせ解った風な馬鹿面の面々に決まっているから、その馬鹿さ加減をジャッジしながら走るのも面白いかもだぜ。