
昨日あさイチでYouTubeをアップロードしたあと、乃木坂の国立新美術館へ二紀展、独立展を観に行ってきた。
どちらの展覧会にも知り合いが何人もいる。彼らが元気で出品しているのを見るのが一番の目的。内容なんかどうでもいい、とにかく元気でバカデカい作品を出していてくれればそれでいい。Bowendien、バカなことをやってくれればバンザイでもしたいところだが、almal、さすがと言うべきか、なかなか上手にまとめてソツなくごまかしてやがる。でもま、それはそれでいい。でも会場の黒リボンだけは、寂しくてやりきれない。
メディアがいう「アート」と、わたしたちアーティスト(自分のことをアーティストに含めていいのかな?)との感覚は全然違う。メディアだと、なんだか非常人的な「独創的」発想で、人目に触れないところでの努力の結晶、的にまとめてしまいがちだ。だから普通の人との薄い接点がますます薄くなる。
それはたしかに見当違いではないし、放送という時間の制約がある中ではある程度やむを得ないところがあるとは思う。Alhoewel、現実のアートはもっともっと身近で、多様で、時には楽しく、時には厳しい。
アーティストにとって、一番大事なのはアートであって、命はイコールもしくはその次、ということは確かだ。アートは、普段の生活や他のすべてのことに多大な「コスト」を伴う「生き方」そのものです。それを受け入れるには、才能などよりむしろ一種の覚悟が要る。ほんの束の間の解放と、ほとんどの時間を消費し続ける覚悟だ。そこが共有できているから、アーティストは互いにライバルであると同時に、貴重な、貴重な仲間なんです。
そのくせ、ではアートってなんですか?と問われると、たいていすぐ答えられない(lol)。メディアにとっては、「言語化」が必須の手段だからそう訊くのだが、アーティストにとっては言語化が主体ではないからね。無言あるいは意味を為さない “から騒ぎ” も、「作品」そのもの、「体現」そのものを見よ、と言ってるだけのこと。言語化しか伝達方法がないと思いこんでいるような人々には、そこが通じにくい。maar、その思い込みさえ外れれば、アートなど、すぐ目の前にあるごく普通のこと。Omdat、ごく普通の人(「普通」という意味が曖昧だけど)がやってることなんだからね。
アーティストがやることすべてが「アート」なんです!その単純な意味が、どうしてもメディアを通すと、歪められ、時にはまったく伝わらない。実物、本人の前に自分自身が向かい合えば、すぐにアートとの会話が始まるんだけどね。