Hogy vagy? 「Appleーたそがれ」テンペラ、F100 仕上げ中 9月に入り、長期予報を見ると今週はちょっと雨模様。最高気温はちょっと低くなりますが、依然として熱帯夜に近い夜の気温が続きます。夏の疲れが出て、それに雨の湿気が重なって食中毒が多くなるのはこれから。皆さん、注意しましょう。 ときどき進行中の写真を載せてきたこの作品もいよいよ仕上げです。「夏休みの宿題」という感覚で描いていました。描くことは楽しいけれど、締め切り(8月末)がちょっと苦しい。子どもの頃の夏休みの絵も、そんな感じでした。締め切りがないと、なかなか仕上がらないものですよね。 とりあえず、「危険な暑さ」から「厳しい残暑」に軟化?しそうですから、元気に皆さんとお会いできることを楽しみにしているところです。
神経美学 「神経美学」という言葉、そういう研究分野があることを初めて知りました。芸術に対する感動が人間の身体に対する影響を研究する分野で、最近注目の学問なのだそうです。そういった分野の、心理学的な研究くらいはあるだろうとは予測していましたが、それが急速に発展しているとまではまったく想像していませんでした。 生成AIによる画像生成、文章生成機能の急速な発展とその応用がどんどん社会に浸透し始めるや、それまで冷ややかに遠巻きに眺めていた政府や財界、人文系分野の研究機関でさえ、今度は乗り遅れるなとばかりに、一斉に使い始めています。新しいパソコン、モバイル端末などには最初からセットされているようですし、既存のパソコンにもどんどんサービスされ始めています。そのスピード感に振り回され、ついていけない挫折感を持つ人々との溝も大きく裂け始めているように感じます。 とにかくそんな情報ばかり溢れていて、それに比べて芸術などはせいぜい生成AIによる著作権侵害を申し立てるだけ、と悲観していましたので、こうした研究は嬉しいことです。芸術に携わる人々の誰もが、芸術を愛する心が平和を求める力になることを知ってはいましたが、それらの人々の多くは政治とは距離を置くべきだと考え、結果として戦争を止める力は持ちえませんでした。 神経美学は、そういった主張、主義とは別に、人間の健康そのものに対する影響を研究するのですから、イデオロギーとか敵味方などにとらわれず、受け入れることができます。 a leginkább、戦場で銃を撃ちあうこと、ミサイルに備えて日夜防空壕に避難する生活が身体にとって最悪であることが解っていてさえ、現実に数百万、数千万人の人々がそういう生活を強いられていることをみれば、なにをかいわんや、ですが。mindazonáltal、世界はAIだけで足りるわけではない、芸術がもっと社会的な力を持てば、平和の力になり得る(かもしれない)。そう思うだけでも、絵を描く筆に力が入るような気がします。
絵はそんなふうに出来る 「Apple-たそがれ」 そろそろ終了まじか 暑い、暑いと言いながらも、夕方には、暑さのピークも過ぎたかなと思わせる瞬間も感じるようになってきました。それとともにウオーキングも再開。昨夕は歩き始めたらすぐ、大きな赤い月が登ってきました。でっかく見えるなあ、と思っていたらスーパームーンとのこと。8月2回目の満月ということでブルームーンでもあったらしい。暑くてもたまには外に出るものですね。世界中でたくさんの人がこの月を見上げたようです(インドの月面探査機まで見えたかどうか)。 「Apple-たそがれ」はそろそろ仕上げ段階ですが、細かいところでちょっと2~3日足踏み。全体のバランスですね。少し描きすぎてしまったところは壊してしまうかもしれません。 自分の絵であり、自分の思い通りに描いているのに、これが自分の描きたいものかといえば、なぜか今一つ、そんな気がしないのです。説明しにくい、一種不思議な感覚ですが、いったんスタートするとひとつの流れができて、こういう絵になるけれど、もしスタート位置が少しずれれば全然違う絵にもなり得る、そんな感じ。 ヨーロッパの都市、たとえばパリの凱旋門のところから、四方八方に放射状に道がありますが、その中心からどの道を選ぶかによって、ゴールの風景が異なります。そんな感じに近いかもしれません。時にはまったく正反対の道を取ってもパリはパリ、それ以外の風景ではないのですが、見る人には真逆のイメージとして映ることもあるでしょう。自分の描く絵をそんな地図にしてみたら、この絵にはこの道が合っている、と直感的に選んでいるわけです。時どき立ち止まって、あっちの道ならどう見えるだろうか、などと想像しつつ、とりあえずゴール近くまでは来た。違う風景を見たいなら、またスタート地点まで戻る。そんな感じで描いています。