澄んでいること

ビー玉とりんご

透明なものになぜか人は心を惹かれるようだ「宝石」はまあ特別としてもガラスが玻璃と呼ばれ宝石以上に珍重されたらしいことは奈良正倉院のペルシャガラスが今に伝わっていることからもわかる古代インドあたりに栄えたムガール帝国のムガールグラスにも決して現代のガラスのように透明ではないがやや乳白色がかったぼんやりした反透明感にもえもいわれぬ魅力を感じたことを思い出した

「透明」と「澄んでいること」は同じではないが共通したイメージはあるさらに想像をつないでいくと「澄んでいる」と「濾過された」も意味が近づいてくる濾過された水は美しく透明であるが危険でもある栄養分すら取り除かれてしまい「水清ければ魚棲まず」となることもあり透明に近い血は死の危険性が香る

完全に透明なものは目に見えないはずだからそこに光が反射したり屈折があったりほんのすこしの淡い色があったりすることで「透明」と意識されるそれは澄んでいることにつながり長い時間をかけて「濾過」された水のイメージにもつながってくる川底の石が見える清流に心を癒されるのはそういう時間を経た安心感にも依っているに違いない

澄んでいるものはどれも儚(はかな)い簡単に汚されてしまう貴重なもの。ek sien、わたしたちの心の鏡のようなものなんだそれは純粋でありたいと願う精神とも深くつながっているだろう大事なものを見るには澄んだ目が必要だ。Dis dit、そのことをもっと大切にしよう

Gepubliseer deur

Takashi

Takashi se persoonlike blog。Nie net oor skilderye nie、Waaraan ek elke dag dink、wat jy voel、Ek skryf wat ook al by my opkom。Hierdie blog is die derde generasie。Van die begin af is dit al meer as 20 jaar.。 2023Vanaf 1 Januarie、Vir eers het ek besluit om net op onewe getal dae te skryf.。Ek gaan stukkie vir stukkie oor my toekomsrigting en ander dinge dink.。

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