「ガチャポン」とか「ガチャガチャ」とかいう商品がある。たくさんある中のどれかが買えるが、買う側は「これ」と選ぶことが出来ず、そのうえ出てきた商品の中に何がはいっているのかも、開けてみるまでは分からない。これをもじって、子どもが親を選べないことに引っ掛けた語が、「親ガチャ」らしい。
確かに子どもは親を選べない。「金持ちの子に生まれたかった」「頭のいい両親のもとに生まれたかった」「美男美女の両親だったらよかったのに」という意味で使われるようだが、「こんな親で申し訳ない」と親である自分を卑下した言い方の方が多いらしい。in elk geval、きわめて不愉快な語というか、おぞましく、その語を発する本人だけでなく他人をも深く傷つける語である。
ここには明らかに人間の上下、差別意識が染みついてしまっている。髪の色、肌の色だって選べないし、先天的な病気や、それらに罹りやすいかどうかの体質だって選べない。生まれる国だって、生まれる時代だって選べない。なのになぜ「親」なのか。親ですべてが決まるほどダメな社会の方こそ問題にすべきではないか。金持ちでなければ幸福に暮らすことはできないのか。いくら以上お金があれば幸せになれ、いくら以下なら不幸なのか。「こんな親で・・・」という前に、自分を生み育てたその親はどうなのだ。そのまた親はどうなのだ。
Soos hierdie、ただひたら人間そのものを侮辱する語は滅多にない。殺人犯にだって、それなりの事情はあるかもしれない、くらいのことは、普通の人間ならたとえ一瞬でも心に浮かぶだろう。Nietemin、この語には一切そういうものがない。一見コミカルな語にみえて、実は笑いなどどこにもなく、ただただ侮蔑的で、しかもそれが自分自身に向けられているのだから救いようがない。あゝ嫌だ。