耳を澄まして


         Apple at isang libro    2021 tempera

この作品は一応完成としたけれど未完成かもしれないそんな気分の絵です本(画面上部の見開きのようなかたちになっているところ本らしく見えないかもしれない)のページ部分を最初はある程度白く塗りつぶすつもりでしたがここまで来てこの「未完成状態」のまま「完成」でいいのではないかという気になったのです

「描き過ぎ」というのはわたしにはよくある特に時間がない時時間のせいで薄っぺらいと思われたくないのかかえって普段より描き込んでしまうことがままある時間があるときは何度も中断して頭を切り替えることができるコーヒーなど飲みながら十分な距離を取って何度も眺めることができる焦って描いてはいけないのです

pero、あまりに単純じゃないでしょうか暗めの緑の似たような彩度だけで描くことがひとつの狙いなので単純さはその結果でもあるのですが絵である以上それでもなにか心に訴える感じが欲しいのですこの絵ではビリジャン(青緑)の大きな平面にそれがあればいいのですが

しばらく放っておくことにします大事なことがあれば向こうからまたなにか呼びかけてくるものです聴き逃しや聞き違いをしないように耳を澄まし静かに眺めながら待つ絵でしょうか

Medyo bullish ngayon


Apple sa pamamagitan ng isang libro 2021 halo-halong media

Habang nahihiya at iniisip na hindi ito gagana,、Ang gawaing ito ay natapos sa ganito。kumpara noong nakaraang araw、Nagawa kong ayusin ang mga detalye sa aking kasiyahan.。Pero ang higit na nagbago ay ang mood ko.。Nagkaroon ng kaunting bullishness ngayon, kaya OK ako.。

Hindi ako lubos na nasisiyahan, ngunit、Sa abot ng gawaing ito、Kahit dagdagan ko pa ito、Hindi na ito magiging mas mahusay kaysa sa ngayon。Imbes na magdagdag pa、Sa kasong ito, tiyak na mas mahusay na gumuhit ng bago.。9Kahit kumpara sa picture in progress na na-publish noong 1st of the month.、Kung gumanda o hindi, depende sa manonood。

Ang asul na hangganan、Parehong may parehong kulay ang Apple at Book.。Samakatuwid、Ang dalawang ito ay isang eroplanong napapalibutan ng parehong balangkas.。Ang gilid (kung ano ang tila) ng talahanayan (kung ano ang tila) ay pareho din ng kulay.。Dahil ang balangkas ng aklat at ang gilid ng talahanayan ay magkapareho ang kulay, ang kahulugan ng pananaw ay lubhang malabo = ito ay nagiging patag.。Ang kulay sa loob ng bawat maliit na hinati na balangkas ay pininturahan din nang pantay-pantay hangga't maaari.、Bagama't mukhang、Ito ay hindi lamang isang simpleng pagpipinta sa maliliit na lugar.、Lumikha ng three-dimensional na epekto na may liwanag at madilim、Iginuhit ko ito sa pag-aakalang ito ay medyo nakakalito.。Kung ito ay isang "magandang pagtatangka" o hindi、Hindi posibleng matukoy sa yugtong ito。

パラリンピアンはモンスター

イチジク  ペン・モノクロ水彩

悪い意味で言うのではない「凄すぎる」という意味での「モンスター」である細かい内容はほとんど知らないがパラリンピックの競技には障害の程度に応じた細かい規定があるらしいことは分った団体競技では障害の違いを混ぜて(適切な言い方ではないと感じるが)一つの競技から不利な障害者(これも適切な言い方とは思えないが)を排除しない配慮がなされているようである

Pero、さらに重度の障害者たとえば寝たきりの人がストレッチャーに乗って参加するなんてことはできない(たぶん)五体満足であっても心臓に重い障害があるような内部障害の人もたぶん無理そしてそのような人は決して少なくないと思われるそのような障害者から見れば走れること泳げること自体凄いことではないだろうか車いすテニスや陸上走り幅跳びなど見ると健常者のアスリートだって彼らに勝てる人はそんなに多くないのでは?と思うほどのハイレベルだ

ましてメダリストは夢のまた夢の世界の住人その彼らにして「銀メダル」「銅メダル」が「残念」と言う「次は絶対金メダル」ここまでくると正直言ってわたしは共感できなくなる「金メダルをとればパラスポーツへの注目が集まりすべての障害者への理解が深まる」と選手も多くの関係者も言うけれどそしてそれが嘘だとも言えないけれどそれが銅や銀でなくなぜ「金メダル」でなければならないのかの説明にはなっていない「政権与党でなければ自分の政策を実現することはできない」「そのためには『与党』で『当選』するしかない」と当選本位の運動をする人たちの論理と奇妙に似ていると感じるのはわたしだけだろうか

メダルと賞を同一視する人もいるわたしは全然違うと考えている(金)メダルは「(第1位の)証明」だが賞はどんな場合でも「(あなたは更に発展できますから)頑張ってください」という奨励の意味が強く第何位という証明はしないのであるオリンピックでもパラリンピックでも「メダル」に替えて「賞」にすればよいと思うそうすれば「国別のメダル獲得数」なんてくだらないどころか有害でさえある報道もなくなるだろう