金メダル

ある日の下北半島‐CGスケッチ

オリンピック試合後の選手インタビューを聞いているとどんな選手でも絶対に金メダルが欲しいんだなと感じさせられる

(現在の)自分の限界を越えて何かに到達するには誰しも強い動機を必要とする必要度が強いほど努力もするしそのための我慢もできるその極限のかたちをぶつけ合う最高の場がたぶんオリンピックなのだ「他人に勝つ」という歓びは本能的なものだろうがそれを増幅し続ける人生とはどんなものなのかわたしには想像が及ばない銀でも銅でもすごいことだと思うけれど彼らにとって金メダルとはそれらを何十個足しても替わりにはならないものなのだなということだけは分かったような気がする

金メダル=1位なら1位の称号でも同じことかといえばきっとそうではないだろう明らかな「物的証拠」として「金メダル」が欲しいのだ金メダルを齧るポーズがちょっといやらしいと思っていたがもっとも敏感な口回りの神経で金メダルに触るその物質感が(精神衛生上)必要なのだろうと思いなおした

気楽に見たり聞いたりするだけのわたしにとっては頑張って自分が何かを得ればそれで十分ではないか自己新記録を出すだけでも立派だなどと思うそれが間違っているとは思わないがそんな風に考えている選手は(少なくともオリンピック選手には)一人もいないということが分かった

オリンピックが始まった

7月24日夜の開会式からオリンピックが始まったドローンの飛行演技?以外はほぼ中身のない薄っぺらいあるいは意味不明のパフォーマンスコロナ禍ゆえに派手さを控えたというのとは違う思想の浅はかさが正直に出ただけだ小学生レベルの学芸会を国家規模でやっただけのまさに税金の無駄遣いのシンボルとなったドローンの飛行は来たるべき戦争や支配のかたちを先取りしているようで不気味な未来を感じさせた

翌日から連日柔道の金メダルラッシュこれで国民もすっかり「感動」してしまったのだろうか?オリンピックに開催反対の意見を社説で述べていた朝日新聞もすっかりオリンピック広報機関の一つに自ら変貌してしまったあの社説の意味は何だったのだろう開催してしまったから今さら反対の意見を維持するよりは流された方が得策だということなのかじつに聞き分けのいい新聞社だそのようにして太平洋戦争に加担した反省をもう忘れたのだなそのくせ8月15日が近づけばきっとまた他人事のように「反省」を国民に説き始めるに違いない

IOCのバッハが「前半で日本選手が活躍すれば(日本国民は)すぐオリンピック支持者になる」と日本国民を小ばかにしたがメディアを見る限りバッハの言う通りだといえるだろう

Na sinabi、アスリートには何の罪もない彼らはひたすらアスリートたらんとしているだけだ日本人のアスリートが判を押したように「こんな状況の中で開催してくれて感謝」を述べメディアがまた偉そうに「支えてくれた皆さんにひとこと」と暗に感謝を強要するインタビューの締めくくり方が「ああこれが日本の文化だ」と哀しい思いになるが

ブラック・オリンピック

鳥のいる構図

オリンピックが始まったとたん「オリンピック」の語がメディアから薄くなり替わりに「Tokyo 2020」が前面に出てきたと感じるすったもんだと手垢にまみれ過ぎた「オリンピック」のイメージを少しでも都合のいいように変えたいのかなと詮索したくなる

明日午後8時から開会式なのだそうだわたしの周囲では時折思い出したように「オリンピックっていつから?」と言い合っているそのくらい盛り上がっていない。sa kabilang banda、ラジオやネットを見るたびに関係者の誰それが辞任とか解任とかが報じられるNHKなどでは「異例の事態」などと間が抜けた感じで伝えているがほとんどの国民はすでにあきれ果てているのではないか「安心安全な大会を通じて震災から復興した(現政権下ではすでに死語化した)日本を全世界に発信する」が正真正銘のコントになってしまった政府組織委員会の会見を見聞きするたびに暗い笑いがこみあげる

これほどまでに哲学のない国ここまで教育の質の低下と歪みが浮き上がって見えてきた日本皮肉なことにオリンピックを巡るこのドタバタでやっと国民にも日本の本当の姿が見え始めてきたのではないか女性蔑視発言などに表面化した口先だけの「人権」意識近・現代史にそっぽを向き続けた歴史教育による現代への歴史的視点の欠如が特に顕わになった

開閉会式のショーディレクターのかつてホロコーストを揶揄した経緯による開会式前日の解任などもしも近・現代史を学んでいればあり得なかったであろうその幼稚さはこの国がどんな国になろうとしているかという哲学の欠如が結んだ不幸な焦点だといえよう皮肉にもそのことをやっと国民に納得させたことが菅政権によるオリンピックの唯一の成果であり意義となるのかもしれない