飛ぶ男-2

lumulutang na ulap:F15 (partial) mixed media 2013
lumulutang na ulap:F15 (partial) mixed media 2013

Ito ay isang buwan。

Si Icarus ng mitolohiyang Griyego ay tumataas nang mataas、Dahil sobrang lapit sa araw、Natutunaw ang mga balahibo ko sa katawan、Nahulog daw ito sa dagat.。pero、Hindi lang siya nakatingin sa taas.、Sa kabilang banda, nabighani ako sa bughaw ng dagat na nakikita mula sa itaas ng langit.、Sa wakas, gusto kong sumanib sa dagat.、Mas komportable para sa akin ang pantasyang iyon.。

誰でもピカソ

鳩の置物(部分) 水彩 2013
鳩の置物(部分) 水彩 2013

本気で「才能は公平に分布する」と考えてみたらどうなるかな

誰でもレオナルドになれる-これはちょっと無理「誰でもレオナルド」はありえないがなぜか「誰でもピカソ」ってTV番組はあったピカソはレオナルドより我々に近いってことだったのかな

オバサンを卒業して / Cleate your own “Obasan” category

浮かぶ男 F10 2013
浮かぶ男 F10 2013

オバサンを馬鹿にしたようなタイトルだが世の「オバサン」は本当は凄い酒も飲まず家族の為に自分の時間を犠牲にしみんなと仲良くししかも低賃金である意味日本の産業社会のみならず日本の文化的底辺を支えてもいるそんなに頑張っているのになんだか本質がずれている

オバサンを「卒業」させる為には家族全員が「オバサン」になる必要があるいかにオバサン(つまり主婦)が奴隷的環境下にあるかということを体験するということだたまに皿洗いを手伝うなんて程度ではなく少なくとも365日であることを覚悟する主婦は365日×3回×年数 そうしているオバサンをオバサンにしたままなのは日本社会の都合と認識すべきなのだ

国民全員がオバサンになればオバサンと言う語は消えるがオバサン文化の平均化はNOだ本質は家族・自治体がオバサンを卒業させ以前のオバサンでは到達できないレベルにオバサンを押し上げることオバサンは自分自身が一生懸命で余裕が無い卒業できるかどうかはじつはオバサン以外の人々の問題なのだ