ストレス?

木立ベゴニア (制作中)19 Aug 2021

ここ数日とても疲れる体の調子はいたってよく食欲も旺盛(量は加減しなくては!)で睡眠も十分摂れているなのに夜10時過ぎには何となく疲れてきて今日中にやる予定を明日にしてしまうそして予定遅れが溜まってくるとそれがストレスになってくる

夏の暑さ疲れが溜まってきた?コロナのニュースを聞くたびに感じる政府の後手後手な対策へのイライラ疲れ?それとも単に怠け病?

世界は一瞬の休みもなく動いている目下はBBCを中心にアフガンのニュースに耳を立てているがもちろん日本でも時計は止まらない大雨の被害を聞くたびに気持ちは塞ぐしパラリンピック開催への疑問と選手自体への同情で気持ちは落ち着かないし国会の答弁を聞けば腹が立つしコロナのニュースは上の通りと世界も日本も動いている動かないのは自分だけのような錯覚に陥りそうな気がする

こんなときは以前ならお酒で一瞬忘れればよかった忘れればしばらくは思い出さなかった再び思い出すまではとりあえず前進するそんな感じだった最近は時にはお酒自体がストレスにさえなる。isang bagay、すべてが八方塞がりのような感じで重たいこれをぶっ飛ばす何かないかな

アフガン情勢から

木立ベゴニア

トランプ前アメリカ大統領が退任する前にタリバーンとの間で撤退について合意していた彼のあとを継いだバイデン現大統領が完全撤退を2021年9月11日までに完了すると発表してからあっという間にタリバーンの大攻勢が始まりついに昨日15日アフガンの大統領ガニ氏が国外に逃亡したとうとうアフガンは再びタリバーンの元に戻り、2001年9月11日のアメリカ・同時多発テロをきっかけにアフガニスタンに戦争を仕掛けたアメリカの目論見は無になったと報道されている

わたしたちからはアフガニスタンは遠い話題と言えば故中村哲医師がアフガンの人々のために医療を提供するだけでなく彼らの日々の暮らしのために灌漑用水路を作ることに身を捧げていたのに、2019年に反政府ゲリラによって射殺されたことくらいではなかっただろうか。Pero、世界があらゆる意味でつながっている以上アフガンの情勢もわたしたちの生活と無縁であるはずはない

アメリカが「悪の枢軸」と呼んでイラクを攻撃したのが2003年フセイン政権を倒して(口実であった「大量破壊兵器」は発見されないまま)そのあとをいわば「ほったらかしたまま」撤退したあとにIS(イスラミックステート)が荒れ地の雑草のようにはびこり人々を恐怖に追い込んだ(まだ終わってはいない)ことはまだ記憶に生々しい。2010から始まったいわゆる「中東の春」以後も含め大量の難民が発生し中東からヨーロッパにかけ今もきわめて大きな問題になっている難民の数で言えば第二次世界大戦より多いというこの時も「遠いところの悲惨な出来事」でありわたしたちの生活には直接影響を受けないように見えた

わたしにはこの鈍感さが一番の脅威だと思える北朝鮮と韓国中国と台湾仮にここで難民が発生する事態になればわたしたちはどうするのか考えておくべきことがそこにあるのではないだろうかその時絵など描いている余裕があるとはとても思えないコロナ対策一つとっても政府を「後手後手だ」と非難するのはたやすい。Pero、そういう政府を作り上げてきたのは結局わたしたちであるわたしたちが考えないことを政府が考えてくれると思うのは間違いだとこの夏の「敗戦記念日」について改めて考えた

How to be a critical thinker

「Green apple and a book(unfinished)」  2021 tempera on canvas

表題は「どうやったら物事をよく考えられるような人になれるか」というような意味critical は「批判的な」という意味があるが日本的ないわゆる反対するという気分より「人の言葉を簡単には信用しない鵜吞みにしない」「迎合せず自分の頭で考える」というニュアンスの方が強いようだ欧米では子どもの時からこのことを訓練するらしい

「自分の頭で考える」そんなのあたりまえ日本だってやっているとは思う。Pero、自分の頭で考えたことを「人前で発表する」まではなかなかいかないのが現状ではあるまいか発表すればリアクションがある好意的なものばかりとは限らない発表する側も批評する側もそこで考えが深まり自分の頭で考えることの「中身」が深化することになる。kaya pala、発表するということはとても大切なプロセスなのだ

日本の学校ではなかなか「発表」ができないあってもある程度決まった方向だけに偏り賛成意見ばかりになりがちだとも聞くそんななかであえて反対意見または疑問を述べるのはかなりの勇気がいる先生も反対意見を述べる子が孤立したりするのを恐れてか適当なところでまとめてしまうもう数歩進めるには先生の側にもそれなりの力量が要るのだろうたとえばNHKの「徹底討論」が「徹底」といつも程遠いのはおそらく似たような心理が働くからではないかと常々思っている

相手を論破したり説得できた方つまり論争で勝った方が必ずしもが正論ということではないしよい意見だということでもない反対意見によって自分の見落としや考えの足りないところを考え直し双方ともよりよい意見になることが良い討論でありそういう謙虚な姿勢があれば最終的に意見が一致するしないに関わらずそれぞれより深い考えに発展する

その意味で反対意見は貴重で大切なものだ。Pero、当然ながら発表することがなければ反対意見など出るわけはないこうした発表と討論の訓練を経ることで発表する前によく考えるようになり発表した後にもさらによく考えるようになる。sa bansang Hapon、選良中の選良であるはずの大臣ですらこのことがよく出来ていないのではないかと思うことがけっして少なくないのが残念である