「風土に生きる」X展が始まります 銀座・ギャルリー志門  10/23()~10/28() 

バイオリズムの波なのか鎮痛薬の効きめかお尻や腰を温めたり睡眠時間を増やしたりした効果なのかまたそれらの相乗効果なのかともかく腰痛がだんだん鎮まってきてふたたびビデオ編集にも集中できるようになってきた

途中でストップしていたナレーションを再開してみると声のボリュームが再開前よりずっと大きくなっていて驚いた腰から来る脚の痛みで歩行に難儀していたときも今もこれからも “元気に歯切れよい” ナレーションを目標にし同じように発声しているつもりなのに再開前の声はどことなく弱弱しく聞こえるむしろマイクに近づき腹に力を入れて声を出していたのに

それが再開後のナレーションでは同じ強さで話したつもりがボリューム・オーバーしてしまった声をずっと弱めにしてマイクとの距離もずいぶん離してもまだボリュームがあるここ2日間ほどの晴天でマイクの感度に若干の変化があるのかとも思ったがそれだけではなさそうだ根本的に “声に力がある” 感じがする

ナレーションをしてみなければ自分では気づかなかったと思う自分の声を数字で見スピーカーからの声を聞き比べて初めて気がついた腰痛と関係ないと医師には笑われたが腰痛と同時期に高くなり始めた血圧体脂肪率も腰痛前の数字に戻ってきた
 体重が変わらないのに体脂肪率が3%も増えるということは計算上はそれ以外のものが1.8kg も減ったことになるそれが全部筋肉の減少というわけではないが筋肉量も若干は減っている可能性がある筋肉が落ち替わりに脂肪が増えたとすれば筋肉の負担がそれまで以上に大きくなったと考えても矛盾はないそれが声のパンチ力に影響することはあり得る話だろう
 さほど信頼性の高いデータではないしたった数日でそんなに筋肉が増えたり減ったりするかを考えれば医師の笑うのも仕方ないでもまあ痛みを引きずった晴れない気分が声の力を削いでいたようには思える

青いカモメのスケッチ会

青いカモメ絵画教室・スケッチ会(今日)

青いカモメ絵画教室のスケッチ会がありました場所は埼玉県宮代町にある日本工業大学構内実行委員長が入構許可をもらってくださって実現しました天気も良く風もそよ風でまずは絶好のスケッチ日和(日なたはちょっと暑かったかな)でした

スケッチブックのサイズもそれぞれ様々かつての仲間を呼んでおしゃべりの方が熱心な人もいたりまあまあ楽しく過ごせたようでそれが一番良かったわたしもお会いできました成果は?皆さん最低でも義理で一枚は描きました(笑)

この絵画教室ももとをただせばこの大学の近隣住民に開放されたオープンキャンパス「公開講座」にルーツを持っています講座終了から10年近く経ち皆さん(不思議なほど)懐かしがって今回の企画になりましたそれぞれの人にとって友人ができる同じ趣味の友人の輪が広がった「聖地」なのかも知れませんそういう共通の場所があることは有難いことだとつくづく思います

当時はずいぶんこの構内を題材にスケッチしたものでしたが構内の様子もだいぶ変わりました図書館や学生食堂が別の場所に新しくなり真ん中に大きな広場ができるなど全体的に明るく開放的になっています木がまだ少なめですが成長したらちょっとした公園気分ですそこをたくさんの学生たちが講義のある教室へ移動するためにぞろぞろと歩いていきます
 のびのびリラックスしていて彼らのこの貴重な時間を大切に過ごして欲しいものだと思いましたわたしたち「老人クラブ」も少しシワがのびたように思いますこの瞬間にも“歩行困難な老人でさえ” 容赦ない砲弾爆撃の下を避難しなければならない世界があることをわたしたちは知っていますスケッチなどに過ごせる平和で楽しい時間を若い人たちにも遺していきたいものですね

ざくろと折り紙のスケッチ

「ざくろと折り紙」2023 水彩(コットン紙)

ふたたびざくろを頂いたので教室の参考作品にしようと数点描いてみた背景の「半袖シャツ型の折り紙」も俳句会の際にAさんから頂いたもの以前に尾形光琳の杜若(かきつばた)のプリントを洒落た蓋つきのキャンディボックスに折ってくださったのもこのブログに載せたので二回目の折り紙登場ということになります(2022/11/19「西洋梨と杜若(かきつばた)」)

鉛筆スケッチから完成まで1時間半ほどこのステップを細かく作業分けすることができれば誰でもこのくらいは描けるようにすることができる(はず)そのステップ分けの分析と作業手順の明確化一般化がわたしの仕事だ

水彩スケッチができるようになればいいなあと思っている人はこの程度描ければ十分だと思う(失礼な言い方でごめんなさい)スケッチに必要なほぼすべてのテクニックが使われているので技術的には必要十分という意味です。azonban、絵というのはきれいに描ければよいという次元にとどまらないもっと深いものがあります
 それはスケッチ程度じゃ解らないという意味ではありません描くこと見ることを通じてそこから何を感じとるかが大切だと思いますどんな絵でもよくよく見れば画面の表面を透かしてその人の感覚や考え方身体状態すこし時間をおけば時代の雰囲気さえうっすらと浮かんでくるものですそういう眼を「自分自身で育てていく」そしてそこからもう一つ深い世界への扉を開くということですたぶんそこが「芸術」への「連絡通路」ですそこに入っていかなくても自分の目で見えるだけで素晴らしいと思います

 おそらく誰でもスケッチを続けていると(ストイックに必死にならなくても大丈夫だよ)ある日不意に「スケッチとはこういうものなのかも」という覚醒の瞬間が訪れます何度もそうやって少しずつ深いものに到達するのです見た目には別段上手になっているようには見えなくても解る人には解るようになっていくそうなって欲しいですね