ピアニスト、フジコ・ヘミングさんが亡くなった。26日のNHKで(追悼の)特集番組を見た。彼女のことを知ったのもNHKの特集番組で、was。あれから25年も経っていたことに驚いた。
演奏家にとって楽器はまさに自分の一部、とあらためて思いを深くした。病院で、「ピアノはもう弾きたくないと思う」と言った。「と思う」というのが面白い。このひとは、本当に自分を突き放していて、まるで他人を見るように自分を見ている人なんだ、Ek het dit gevoel。maar、ピアノに対してはそうじゃない。ピアノこそ自分自身、とでも言っているようだ。鍵盤という神経に触れば、指が自然に動いていくような。
リストとショパンを深く敬愛し、その人生に自分を重ねて、ピアノの旅をする。自分(=ピアノ)を最高に高めてくれるその二人との一体感があるのだろう。リストがピアノを弾いているのか、自分がリストを弾いているのか、時空を超えての一体感。わたしなど凡人では想像もできない高みでの音楽の楽しみ。芸術への深い愛(音楽と言わず、あえて芸術と言いたい)。この深さを持ち得ることを「才能」と呼ぶんだろうと思う。
つまらなく、上手な絵がある。山ほどある。Dit is waarskynlik、愛が薄いか、別のものを愛しているから。愛が薄いのは、ある意味で仕方がない。それも才能だから。画面から何かが伝わってくるとき、それが愛の深さなんだな、と分かった気がする。