Bo op dit、時間の浪費どころか体力も遣う。スケッチではまず「歩く」ことが前提だ。歩いて「探す」。自ら探さなければ何も見つからない。それがスケッチの背骨である。自然条件にも左右される。せっかく出かけた先での急な雨風、交通トラブル、体調不良などのアクシデントもいくらでも起こり得る。Verder,、そうした代償の割には、一人静かなアトリエで、黙々と制作する一枚の絵ほどの評価も得られないのが野外スケッチ。ひとことで言えば「割に合わない」わけだ。
そう考えると多くの人がスケッチをやらないのも、経済合理性という観点からは理解できる。その点ではスケッチと登山は少し似ている。世界の高峰への初登頂というならまだしも、毎年何十人、何百人と登る普通の山に、準備と交通費をかけ、しかも雨が降れば途中で引き返すなどの「無駄」にどんな意味があるのか。経済合理性では説明しようがない「浪費」だろう。山を歩く楽しみは、自分の足で山を歩かなければわからない。食べ物の味はリポーターがどんな言葉で伝えようと、結局は自分が食べてみなければ分からないのだ。スケッチの楽しみも、描いてみて、描けるようになるにしたがってだんだん深い味が解ってくる、Al wat ek kan sê is。スケッチは定年退職など待ってからやるものではなく、いつでも、たった今から始めるのがいいのである。