期待などされずとも

10年も咲けなかった窓辺のサボテン

繻子蘭に続けとばかり窓辺のサボテンに花が咲きそうだわが窓辺にては咲きたる記憶なし買った時にはおそらく咲いていたと思うがそれ以来の開花だろう少なくとも10年にはなる小さな鉢にぎゅう詰めの寄せ植えだからそれぞれが成長する上でギリギリの凌ぎ合いがそういう結果になっているのだと思っていた

それが今年咲く(だろう)とはどういうことか確かに今年は何粒か肥料をあげたかも知れない。bet、今年だけでもない寄せ植えの一部を他の鉢に移したら短期間ではるかに大きく太く育った依然としてこの鉢がぎゅう詰めの育ちにくい環境であることは間違いない

当然のごとく花など期待していなかったサボテンに意思があって無理やり咲いてみせようとしているわけではなかろうが生き物はこうしていつも(咲く)準備はしているのだなとは感じた

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Takashi

Takashi personīgais emuārs。Ne tikai par gleznām、Par ko es domāju katru dienu、ko tu jūti、Es rakstu visu, kas ienāk prātā。Šis emuārs ir trešā paaudze。No sākuma ir pagājuši vairāk nekā 20 gadi.。 2023No 1. janvāra、Pagaidām nolēmu vienkārši rakstīt nepāra dienās.。Par savu nākotnes virzienu un citām lietām došos pa gabalu.。

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