黄葉で遊べない

        「黄葉を遊ぶ」  水彩

ここいつもの散歩コースの途中あまりに黄葉(大きな銀杏が隣に数本ある)がきれいだったので写真を撮った別の日別の場所で子どもが銀杏の落ち葉を手で掬い上げ空中に放り投げてはそれを頭から浴びていたそんな情景を画面上でミックス

絵の描き方としてはけっしてお勧めしない。bet、この情景ならこの描き方が一番「お手軽」で身近だと思ったんだ

大人になって絵を描くのにいろいろ考えたり勉強したり何年も修行まがいのことをひたすら頑張ったりしたけど本当はそういうのずっと面倒くさかったんだよね「お絵かき」なんて “お手軽” でいいんじゃない?

bet、ホントに言いたいことはそこじゃないそこじゃないけどそれを説明するのはもっとめんどくさいからいっそどうでもいいんだただ秋の日を浴びたら気持いいなっていうだけのことさ子どもがそうしているように

「山荘の初雪」をアップロードしました

「山荘の初雪」をアップロードしました。1週間でアップすることを目標に編集してみたがぎりぎりだっただいたい何を描くかに一週間は考えているそして1週間はなんだかんだと忙しく編集には頑張っても1週間かかる。Citiem vārdiem sakot、3週間ペース(それ以外の問題がないとして)優秀なYouTuberから見たら「やる気なし」に分類にされる投稿頻度

YouTubeは純然たる一つの「会社」投稿が無料だからといって決してボランティアなどではない投稿を有料にしたら逆にYouTubeが儲からないから無料にしているだけ。99%のYouTube投稿者はYouTubeの利益に貢献しているだけで(自己満足できるならばそれでもよいが)いわゆる「収益」なんて無い

収益を上げられるチャンネルの多くは「会社組織」になっているようだ数だけから言えばわたしのような純粋個人が多いだろうけれど実際の作業は一人では本当にしんどいしアイデアも広がらない健康を害する人さえ少なくないと聞くそれは実感としてよく解る

このビデオで描いたスケッチは実景ではない取材は秋の小春日和の日だったがそれを雪景色に替えてみたもの現実に雨や雪が降る野外で描いたこともあるが油絵は大丈夫だが水彩では限界がある
 小石が飛んでくるような風の強い日煽られる紙を体重で地面に押しつけながら描いたこともある断崖の上から描いたときは海から飛んできた潮の粒が水分を吸って独特の模様を作って驚いた描いているうちに筆と筆洗の水が凍ってしまったりそういう制作風景がいまならYouTubeで受けそうだが当時は目の前の時間を捉えるのに必死だった

empātija

             「椿の実とタイサンボクの芯」  フェルトペン

"empātija"、“dalīšanās” sajūta、Tas, iespējams, ir atslēgvārds dzīvē.、ES esmu priecīgs。Tādi vārdi kā “vienotība” un “sadarbība”、Man patīk japāņi。

Ja jūs to apgriežat、Par lietām un cilvēkiem, kuri “neprot just līdzi” un “nesadarboties”、Ir doma, ka、nedomājot par to、Būtībā tas nozīmē arī to, ka pastāv spēcīga tendence tās "izslēgt" kā svešas molekulas.。Ak vai、Šķiet, ka tas attiecas ne tikai uz japāņiem.、Patiesībā šī tendence, šķiet, pieaug visā pasaulē.。

Frāze "lasīt atmosfēru" kļuva populāra.、Kā izdomāts vārds, jums ir asa vārdu izjūta.、ES esmu priecīgs。Es domāju, ka jo vairāk jūs klausāties, jo vairāk jūs to dzirdat.、Es domāju, ka es nevaru nākt klajā ar šādu ideju.。Tēlotājmāksla, piemēram, gleznas un skulptūras, patiesībā ir、Es lasu "atmosfēru", kas rodas no tās formas un krāsas.、Tā var teikt。Atšķirība ir、"Gaiss" plūst ārpus vietas un laika.。

Empātija un dalīšanās、Sadarbības sajūta、māksliniekam、Dažreiz tas ir traucēklis。bet、Nav mākslas bez empātijas。kāds jūt līdzi、Ja darbs nav atstāts aiz muguras, tas it kā neeksistē kā darbs.。Ja tas paliek kā dati、Daži cilvēki saka、Kādreiz, kaut kur、kāds jutīs līdzi、Tas ir tāpēc, ka viņiem ir kaut kas līdzīgs "ticībai".。Un tas droši vien nav nepareizi。